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期間限定食パン

既存の食品商品に対して期間限定品というものが昔よく販売されていた。

こういった『期間限定』といった、その期間内に購入していないと発売終了後に欲しくなっても買えないという商品にとても弱くて、ついつい買ってしまったりする。

これまで購入した期間限定の中で特に気に入ったものは食パンだった。食パンで期間限定品が出るなんて結構珍しいんじゃないだろうか。

そんな珍しい期間限定食パンですが、特に味がおいしかったです。

それはキャラメル味の食パンといったものでした。

食パンにピーナッツを組み合わせるといったものならありそうなものだけど、まさかキャラメル味にするなんて、ととても驚いたものだ。

味もさることながら、食パンの入れている包装袋にも驚かせられました。

他メーカーのお菓子で販売されている有名キャラメルを使用しているというコラボ商品でもあるのだけど、食パンの包装袋が市販キャラメルの箱のパッケージになっていた。

食パンの既存包装袋に『◯◯社のキャラメルを使用!』なんてことをプリントするくらいならよくありそうですが、まさかキャラメル箱のパッケージを使用してくるとは、とても衝撃を受けました。

あと見慣れたキャラメル箱のパッケージが食パン袋のパッケージなったのもインパクトがあった。この期間限定食パン、発売当時は結構話題になったりもしました。

味がキャラメル味でだけあって、食パンの袋の封を開けた途端に中から溢れ出したキャラメルの香りがなんとも食欲を沸き立たせられた。

袋の封を開けただけでこんなにキャラメルの匂いが漂うなんて、食パンを食べたらもの凄いキャラメルの味がすんだろうなぁ〜と思っていたら、結構キャラメル味は抑えめだった。

でもしっかりとしたキャラメル味でした。むしろあれくらいの味の濃さ程度のほうが食べやかったと思うのでよかったかも。もっとキャラメルキャラメルしていたら一枚食べたら胸焼けしてたかもしれない。

売られたときに焼いて食べるとより一層キャラメル風味が出ておいしいと聞いたんですが、個人的には焼かずに食べたほうがおいしかった記憶があります。

このキャラメル食パン、ほんと話題になったので再度再販されるんじゃないかと期待していたのですが、未だに再販されません。だから期間限定品は買ってしまいます。うーん、また食べたいですっ!

期間限定缶コーヒー

コーヒーに他のものをブレンドさせて商品というのは結構あったりする。

そういったブレンドコーヒーというのは、コーヒーにチョコレートをブレンドさせたり、コーヒーにキャラメルをブレンドさせたり、

そしてコーヒーにオレンジをブレンドさせたものもあったり、コーヒーに何かをブレンドさせるもの、そういうのは普段からよく見かけるもの。

それは市販の缶コーヒーでも期間限定品としてよく販売されているものが多々を占めている。

しかし普段見かけるようなコーヒーとのブレンド品とは違い、缶コーヒーの、それも期間限定品となると、商品の定着化は考えていないからかとてもユニークなブレンドをみせるものも幾つかあったりする。

その中でとても印象に残っていたのは、コーヒーに抹茶をブレンドさせたものだった。コーヒーの中にお茶を入れるというのは、と、売られていたものを見たときはとても衝撃的だったことを覚えている。

私は外出先でコーヒーを飲む際にはキャラメルといったものをブレンドしたコーヒーを注文するのでブレンド系には慣れ親しんでいるのだけど、流石に抹茶をブレンドされた商品には抵抗を感じるしかない。

だけどその抹茶缶コーヒ、結局買ってしまっていた。なぜかというと抵抗を感じたものの、こんな違和感ある組み合わせなのに商品化させたということは、もしかしたら結構合うのかもしれない、といった好奇心と、

そもそも抹茶自体が大好きであったため物は試しと購入に至ったのだ。

そして、このコーヒーと抹茶をブレンドした期間限定コーヒーを販売したメーカー、同シリーズとしてもう一種類販売させていたりする。

それは紅茶!紅茶を混ぜたコーヒーだったのだ。

コーヒーに抹茶をブレンドさせたことには衝撃的でしたが、紅茶をブレンドさせたことはもはや震撼だ。

流石に紅茶コーヒーはちょっと、と思いながらも結局抵抗心よりも好奇心の方が勝ってしまって買ったんだけど、これに関しては買ってから随分経った今でも飲めずにいた記憶がある。

やっぱりコーヒーの中に紅茶を注ぎ込むイメージが脳裏から離れずに開封することにとても躊躇してしまったのだ。

この抹茶や紅茶といった普段コーヒーと組み合わせないだろうものとブレンドさせた期間限定缶コーヒーってよく販売されていた気がするんが、最近めっきり見かけなくなった気がする。

やっぱり売れ行きの方は芳しくなかったんだろうなぁ。

タイアップキャンペーン

よくコンビニでアニメやゲームとタイアップをするキャンペーンが頻繁に開催されているのを見かける。

たまにコンビニに立ち寄れば何かしらキャンペーンが開催されているような気がする。

そんなキャンペーン内容で基本的に行われることといえば対象となる商品を指定の個数を買えばキャンペーン限定グッズが貰えるというもの。

そのグッズの種類のなかでよくあるのがタイアップした作品のイラストが描かれたクリアファイル。

キャンペーン限定グッズとはいえどそんなに高価なものではないクリアファイルではあるけど、ただのクリアファイルと侮るなかれ。いや、クリアファイルはただのクリアファイルなんですけど。無料だし。

貰えるクリアファイルに描かれているイラストというのは、そのキャンペーンのために専用に用意された、いわゆる描きおろしイラストというもので、

そうなると一般市場で販売されていないものなので普通に店頭で買えるような代物ではない、このキャンペーン開催中でないと手に入らないといったものになり、プレミアムに近いものになりがち。

まぁコンビニとのタイアップとなると、全国に数多く存在する店舗の全てにそこそこの枚数ものクリアファイルが搬入されるので、キャンペーンが開始して暫くの間ならば容易に手に入ることができるのだけど、

人気タイトルのアニメやゲームとのタイアップになると話は変わってくる。

そのアニメやゲームの中で、特に人気のあるキャラクターが描かれたクリアファイルはすぐに在庫切れになってしまい、場合によってはキャンペーン開始して数時間も経たないうちに在庫切れになることもしばしば。

だから人気タイトルのアニメやゲームとのタイアップキャンペーンが開催された時は、そのクリアファイルを手に入れるために激しい争奪戦が起きることになります。

なんでもキャンペーンが開始する時間、すなわち関連グッズを店頭に並べる時間というのが全店舗共通しいているそうで、目的のクリアファイルを求める客はキャンペーンが開始される時間前から店の前で順番待ちをするらしい。世も末だ。

そうはいっても用意されているクリアファイルの枚数はそこそこあり、同じコンビニの店舗は結構かたまって点在していたりするので、そこまでしなくとも手に入るんじゃないかと思ったりもするけど、

その同じクリアファイルをひとりで貰える上限がないので、対象商品を買えば買うほどクリアファイルが貰えるということで、ひとりで同じクリアファイルを何枚も貰って帰ったりするそうだ。

凄い人では何十枚も貰ったりとか。だから人気タイトルのキャンペーンとなると開始前から並ばないといけなくなる。世も末だ。

清水寺へ行った時の思い出

河原町行き急行に乗った。僕の隣りにおばさんが座った。おばさんは、僕が動くたびにビクビクと鶏のように首を動かしていた。どうやら僕に怯えていたようだ。

僕が座る前に、そこの席に座っていた人間がコーヒーの空き缶を座席下の死角に立てていた。それが僕の足下に転がってきて鬱陶しかった。 ようやく離れたかと安心しても電車がカーブを描くと空き缶は再び僕の足下に戻ってきた。

僕は隣りのおばさんに恐怖感を与えないように、ずっと窓の外を眺めていたが全神経は空き缶に刺激される足下に集中していた。

電車が、それまでとは逆に傾いた時カラカラと音をたてて空き缶がおばさんの方へ転がって行った。

おばさんが、その空き缶を僕が飲み干したものだと思ったらどうしよう?と不安になったが、だからと言って僕に出来ることは何も思いあたらなかった。  するとおばさんは、その空き缶を手で拾い、そして立てた。

少しだけ僕の心の中で罪悪感が生まれた。 おばさんに謝るのは少し違うだろうし、『ひどい人がいますね』と話しかけるのも違うような気がした。

だけど空き缶が僕の足下にしばらく住み着いたせいであの空き缶と僕は、いつの間にか同じ色になっていた。

他の乗客からすればあの空き缶は僕のものであるに違いなかった。気まずい思いのまま河原町に着いた。

ぶらぶら散歩しながら清水寺まで歩いた。清水寺をお参りするのは久しぶりだった。

入場券がしおりのようになっていて季節ごとに4種類ある。以前貰ったのは春と春で、今回は冬だった。

しばらく音羽の滝の音を聴きながら不動明王様を見上げていた。すると目の前を行くおばさんと、リュックを背負ったおじさんが僕に背中を向けて立った。 せっかく不動明王様を見ていたのに邪魔だなと思った。

その時、突然おじさんの方が物凄く卑猥なことを言い出した。おばさんの方は、『もぉ〜』などと言ってまんざらでもない様子だった。 すごく気分が悪くなったので再び歩いた。

清水の舞台を下から眺めた。『下から見るとやっぱり高いなぁ』と思った。10年程前も全く同じ感想を持ったことを思い出した。

帰り道、清水寺の門前に構える店で清水焼きの珈琲カップを買った。東京で自分専用の珈琲カップを探しまわっていたが見つからずにいたのでとても嬉しい。

カップの底が三角形だが飲み口は円形という変わった形だ。 カップには赤と白の椿が描かれていて、カップをのせる皿には白い椿が描かれている。

僕の家賃の三分の一程の値段がしたが今は家に帰って椿の絵を見るだけで幸せだ。

パンダ?

家族と一緒に御飯を食べ終えたあと、みかんを食べるかどうか迷っていると、友達の横山くんがバイクで迎えに来てくれた。

僕は上手にバイクを運転出来るかとても不安だった。『なんとか頑張ってケガだけないように運転するわ』と僕が言うと、『運転は俺がやる、マッタン免許ないし』と横山くんが言ってくれた。良かった。助かった。横山くんが無理やり運転を強要するような友達じゃなくて。

二人でバイクに乗り、しばらく走った。僕が、『遅ぇな』とつぶやくと、『マッタン薄着やから寒いしゆっくり走ってんねん』と横山くんが言った。

思い出話を思い出す前に、もう一人の友達の家に着いた。インターホンを押し、『パンダ?』と聞くと、友達の難波くんは『うん』と言った。

この感じならば承諾してくれるかもしれないと期待に胸を膨らませ、『2階の出窓から入ってもいい?』と聞くと、『あかん』と断られた。

2階の出窓から家に上がることを、学生時代から通算100回以上は断られている。いくら仲が良くても、2階の出窓からは家に上がらしてもらえないのだろうか。

歩いてコンビニに何か買いに行こうと二人を誘い出し、このコンビニじゃない、このコンビニじゃない、このコンビニじゃないと三つのコンビニをやり過ごし、2キロほど歩かせた。

彼にはちょっとひどいことをしたような気がしたけど、本当は、ただ歩きたかっただけだ。本当に、ただ歩きたかっただけなのだ。

中学校の正門が見えて来たので、8年くらい前の真夜中に、あの門から学校の中をのぞいた思い出を語ると二人共全く覚えていなかった。

『母校を懐かしそうに見つめて感慨に耽っている皆に、俺が「すね毛金髪に染めてん」って言うたら、「今の雰囲気に全然合わへんこと言うな、せめて髪金髪やったらわかるけど、すね毛金髪って何やねん!」って皆少し怒ってたやん?

ほんで髪の毛と、すね毛は十代の内は対等やって話ながら帰ったやん、そうや十九歳の時や』 と僕が言ったが、『あ〜』みたいなどっちでも別にいいみたいな反応だった。

パンダの2階の出窓を盗んで校門に設置し一日に何百人という思春期の中学生が出たり入ったりするようにしてやろうかなと思った。まだ少し寒いから、もう少し暖かくなってから。

相撲の座布団/買った携帯電話

  ・相撲の座布団

横綱を倒したり、素晴らしい勝負だった時に座布団が土俵へ投込まれる映像は子供の頃から幾度となく目にしてきた。

座布団が画面いっぱいに舞う光景はどちらかと言うと清々しく気持ちの良いもので特別に恐ろしく感じたことは今まではなかった。

しかし、昨年からの様々な報道により国民全体の大まかな朝青龍像は、ある程度固定されてきた。

そんな予備知識を持った上で、朝青龍が敗れた直後に観客が笑顔で座布団を土俵に投込む風景は僕の目には異様にうつる。

物語が出来てしまっているので感情も乗せやすいのだろうが、鍛え抜かれた大きな身体全身に汗をかき、時には数秒間の刹那に全てをかけ戦う力士に、敗れた横綱に、座布団を投げる様は恐ろしい。

勝利した力士を称える座布団と考えるのが普通だろうが、その座布団がもう一つ別の意味を持っているのは明白だ。

座布団を投げている者の中には、もう何年も汗をかいていない人間もいるだろう。

正直なところ恐ろしさと同時に物凄く面白くもあるから、今後も投込み続けていただきたいのだが、個人的にはあの座布団は重過ぎて僕には投げることは出来ないだろうと思う。

たとえ面白くても、あらゆる観点から表現が規制されてしまう現代において、結構な内容であるにもかかわらず『かい潜ってるなぁ』と感心もさせられる。

  ・買った携帯電話

携帯電話を新しく購入した。

スマホではなく携帯電話。ガラゲータイプだ。未だスマホには馴染めないでいる。

恐らくこの携帯電話も僕に買われたがために実力の30%も発揮出来ないまま壊れて行くのだろう。

つい最近まで使用していた携帯電話が残酷と思えるほど凄まじい壊れ方をしたためか、お店の人は戦場に持って行っても使えそうな丈夫なタイプのものばかりすすめてきた。

結局携帯の裏側がステンレス素材という見るからに頑丈な携帯電話を購入した。

それから、しばらく使っているのだが、この携帯電話は開くと画面の上の方に小さなカレンダーが出る。

今朝気付いたのだが、そのカレンダーの横に無数のピンク色のハートマークが浮かび上がって大変気持ちが悪い。

仕事上の、『お疲れ様です。了解です。』という無機質なメールを送信しているにもかかわらず画面にピンク色のハートが浮かび上がるため、「密かに想いを寄せているが、その気持ちを伝える事はまだ出来ない。

そんな相手に対するもどかしいメールなのでは?」と強烈なピンクのハートの視覚的主張によって自分の中でありもしない意識を捏造されてしまう。

このままでは困るので、あれこれ触り、何とかハートマークを消そうと努力したが全然ピンクのハートは消えてくれない。まぁ自分が我慢すればすむことだと思い堪えた。

そして先程携帯電話を開いたがハートマークが出ていない。あれは、『ホワイトデーですよ』ということだったのかもしれない。

充電器差し込み口からトナカイの鼻が飛び出すのではないか?と今からクリスマスが怖い。

価値の基準

もし酸素が有料だったとしたならば、年齢に応じて一定の金額を納めるだけなら嫌々ながらも諦めようがあるが、何らかの計測機を持たされ吸う量によって金額が変わるとしたら誰もが出来るだけ酸素料金を安く抑えるために空気を吸う量を減らす工夫をするだろう。

空気を深く眠っている時くらい減らすことが出来るヨガが空前の大ブームを巻起こし、夏休みや正月休みを理由し、海外へ高地トレーニングに出向く者もいるだろう。

中には、大きな穴を掘りその中で暮らして酸素料金を抑えようとする家族も出て来るかもしれない。

その反対に国内でスポーツなどの運動をする者は極端に減り、『有酸素運動』などという言葉は、今でいう『乗馬』や、『ポロ』などと同じくらい高貴なイメージがつき一般的に親しみのない言葉になるだろう。

一度、酸素料金が高騰したなら、『有酸素運動』は『黒魔術』というような言葉に近い形で使われるかもしれない。

しかし、今のところ酸素は無料だ。あらゆるものが有料なこの世界だが酸素は無料なのだ。

だから、空気を吸う度に感謝の気持ちを…などとは少しも思わないが、価値に関して考え出すと酸素無料で良かったと阿呆の小学生のようなことを思ってしまう。

僕が痛切に欲しいのは、『手ぶら』だ。

僕にとっては両手に何も持っていない状態が手ぶらで、袈裟がけのカバンや、リュックは無いにこしたことはないが大人なので、あっても仕方がない。

僕が思うに、『飲みやすいように曲がるストロー』と手ぶらほど過小評価されている価値は他にないのではないか?

手ぶらでも行けるのに手ぶらで行かないのは、曲がるストローを曲げず真直ぐの状態で飲み物を飲むのと同じことだ。いやそれ以上だ。

大きい荷物なら諦めもつく。しかし小さい物で、変わりがあって後からでも手に入る物なら基本的に僕は持ちたくない。

傘を持ちたくない理由も、一つは手ぶらを尊重しているからだ。雨に濡れているが手ぶらな自分は、決して不幸ではない。

だから、手ぶらで歩けることは凄く楽しいことで、とても有意義なことなのだが、だからといって物をバンバン捨てるわけには行かないので毎日ストレスが溜まる。

そのような時、僕が頭に思い浮かべるのは大きなカゴに入った大量の携帯電話を順番に手に取り、そして固い石の壁に向かって、おもいっきり投げて破壊することだ。開いた状態で投げても良いし、閉じた状態で投げても良い。

リアルに1時間手ぶらで歩ける権利に僕は600円なら払える。月に自由に使えるお金が2万円あるとしたら600円なら余裕で払える。

本当に疲れてて、何にも囚われず自由に歩きたい時なら1000円まで払える。現に僕はコインロッカーを頻繁に使っている。よっぽど大事なものか、その時に必要なもの以外は一切いらないのだ。

持てて本だ。文庫本はポケットに入れるが、単行本は手に持つこともある。

本は後から読む瞬間を想像すると、その重さを上回る満足感を得られるのであまり苦痛に感じない。

飲み物は飲みたい時に買う。飲みたくなるまで1時間か、30分か、持って歩くのは苦痛だ。食べ物も同様だ。

たまに大家さんだったり、知り合いのおばさんからパンなどを頂くことがあって、今から散歩しようと思っていたのに20分程かけてわざわざ自宅までパンを置きに行き再び散歩に出掛けることもよくある。

さすがに頂いた物は捨てれない。それに好意自体は凄く嬉しい。ただ精神的には苦痛だ。重い。

600円の、もしくは1000円の手ぶら状態を剥奪しても許されるものは本以外だと中々難しいのかもしれない。

価値の基準は人それぞれ違うのだろうが、僕にとって手ぶらは非常に重要な状態なのだ。

プールと友達

プールに入るとなぜか眠気が押し寄せてくる、そんな経験を子供の頃に何度となく経験して来た記憶がなんとなるある。

子供という生き物はプールというものに過剰なまでの好奇心を持ち合わせていて、そんな精神状態でプールに入るからテンションが上がり、はしゃぎ過ぎてしまうから疲れて眠たくなるものだと思っていたが、そうでもないようだ。

今日は朝からわけあってプールに入ったのだが、曇っていて気温も低いし水も冷たいし大人だし、そこまでテンションは上がらなかった。

皆が男らしバッシャンバッシャン飛び込んで行くなか、もしものために一人プールサイドで入念に心臓を叩きストレッチ運動を繰り返し、ようやく飛び込むのか?と思いきや足から徐々に濡らし身体全体に水をかけてプールに入っていく真面目な奴がいて、それが僕だった。

とは言うものの、実際のところ正直に告白すると瞬間的にはしゃいでしまったりもした。が、日常生活の範疇を越えるようなはしゃぎ方ではなかったはずだ。

しかしプールから上がってみると、睡魔が8万匹ほど取憑いたかのように眠たい。

一緒にいた友達と、『これなんやろなぁ?今すぐ寝たいなぁ』などと言いながら帰り道をフラフラと歩いていた。友達は僕と違い、辺りをはばかることなくプールではしゃぎ倒していたので尚更疲れていたことだろう。

そのように思っていたが、どうやら僕は友達をみくびっていたようだ。『犬』や『パトカー』を見て興奮するのは中2までと相場は決まっているが、友達はこれさえにも当てはまらない。

信号待ちで止まっている車の助手席から犬が顔を出しているのを発見した瞬間、友達は大声で、『犬や!ほんまや!』と叫んだのである。

犬にそこまで敏感に反応したことにも驚いたが何より僕が驚いたのは、『犬や!』と叫んだ直後に自分で、『ほんまや!』と自分の言った言葉に返事をしたことだった。

本能で咄嗟に出た言葉に、再び本能が反応してそのようなことになったのだろうか?

『犬や!ほんまや!』更にその言葉に本能が反応してしまい、それが永遠に続いたとしたら国道沿で、一人で叫び続けてしまうこともあるのだろうか? 友達だったら容易にそんな映像も想像出来てしまうから恐ろしい。

美容院

本日、髪の毛を切りに古い友達が働く美容院に行った。

美容院の扉を開けると旧友が僕を見るなり、傷だらけで道端に倒れていた旅人を家まで運び慌てて介抱するようなテンションで椅子に座らせた。僕は鏡に映る自分を見ながら自嘲気味に笑うことしか出来ず己の髪の毛の行方を静かに見守った。

手際良く、作業をする友達。実のところ僕は、おかっぱ頭が結構気に入っていた。時々人に笑われたりもしたけど、何か好きだった。

そういえば中学時代の僕は、古着屋で得体の知れないクレイジーなガラシャツを買って来て家族に笑われたり、自転車に鏡を付けて昭和40年代風に改造してお巡りさんに止められまくったり、チューリップハットの復活を企んだり、真夏でも学生服の第一ボタンをしっかりと止めたりと常に自分なりの美学を追求していた。

先日、実家で発見した中学時代友達と共に写っている写真では、皆はジーンズに古着のアディダスのジャージとオシャレな組み合わせだが、僕はオッサンのようなグレーのスラックスにピカピカの革靴、そして蛇ガラのタイトなシャツを着ていて、どう考えても中学生には見えないふざけた格好で、もちろん特に人から褒められることなどは無かったが、あの頃の僕は時代や流行りなど一切気にせず全て自分の好きなものだけを選択して生きていた。

更にさかのぼって小学生の僕でさえ、2年生の頃には皆が登下校の際にかぶる黄色い帽子の後ろに必ずマジックで『卍』マークを描いていた。

5年生くらいになると、目立つのが徐々に嫌になって来て、何故か年上の6年生や中学生から、『又吉って奴しばく』とか言われ出して面倒臭かったのもあり、『卍』マークを描くのも止めたのだけれど、基本的に暴力がとても怖いので。僕は暴力には抗うことが出来ず従順なのだ。

とは言うものの、まだ自分というものを大切にしていたような気がする。

うってかわって、高校時代は、『どれだけ目立たず過ごせるか』とか、『極めて普通であることがカッコいい』などという僕の中での新機軸と呼べる感覚が誕生した時期だった。

そのため今だに僕の中では、『自分の好きなもの』と、『一般的で目立たないもの』という相反した2大勢力が常に精神内部でぶつかり合い終わること無き葛藤を繰り広げている。今回の髪型にしてもそうだ。

自分は何故か気に入っていたが、初めて僕のおかっぱ頭を見る人は、『俺変わってますよアピールしている人』と認識するか、『ただのウケ狙い』と認識するか、『美的感覚のずれている人』と認識するか、いずれにせよ中々インパクトの強い髪型で必ず何かしらのメッセージを他者に発してしまうことは自分でも解っているので恥ずかしいという気持ちも少しある。

昔、『自分の好きな女性が他の人から見たら凄くブサイクで自分だけしかその美しさに気付かなければ良いのになぁ』などと思ったことがあったが、それが湾曲した感覚で、『この個性的な髪型が皆から見たら全然普通の目立たない髪型だったらなぁ』というような思いに近い。

『でも、まぁ、そこまで拘泥する問題でもなくて、又別の髪型にするか、いっそのこと坊主にするか、俺将来ハゲんのかな?』

などと一人で考えていると、僕の髪を切る友達に、『そういえば又吉君、何年も前に「カッコ良いから、おかっぱにしてみたい」とか言ってたけど本当にしたね』と言われ、そうなんだ…と理解者を自分の歴史の中に発見出来て嬉しかった。

訪問者

部屋の扉をドンドンと叩かれた。叩き方が荒かったので知り合いではないと思った。

大家だろうか?しかし家賃は毎月納めているし、近所迷惑になるような騒音を出した覚えもない。

一応部屋の中から扉を開けずに、『はい』と返事をしてみたが相手は黙っている。気味が悪いので、僕も途中からではあるが居留守という形をとろうと思い黙ることにした。

扉をはさんで無言の二人。だが、この扉は僕の部屋の扉なので精神的には僕の方が圧倒的に不利だ。

静寂の中で、僕は先ほど、『はい』と応えてしまったことを後悔していた。僕は居留守を使う上で絶対にとってはいけない行動をとってしまったのだ。

そのため中途半端な居留守になり、厳しく言えばもはや居留守でもなんでもないのである。

しかし前向きに捉えれば居るのに扉を開かないというのは僕の意志を真直ぐに表現することでもあり、『そういうことなのでお引き取り下さい』ということなのだが、扉の向こうの誰かは一向に立ち去る気配を見せない。

何故そんなことがわかるのかというと僕のアパートは築60年以上で、傾いた廊下は京都知恩院にある鶯張りの廊下よりも遥かに汚い音ではあるが、京都知恩院にある鶯張りの廊下よりも遥かに大きな音が鳴り防犯には優れているのである。怖いなぁ。何だろう?何も悪いことをしていないのに不安になってきた。

60秒くらいたち、ようやく誰かは僕の部屋の前から立ち去った。廊下を踏む音が徐々に遠ざかり階段をおりる音が聞こえた。

誰だったのだろう?このままでは不安は解消されない。僕はサンダルをはいて音をたてないようにゆっくりと扉を開こうとしたが、ギイギイと結局音は鳴るので神経質ななるのは諦め普通に外に出て階段をおりた。

その誰かは、恐らく60代と思しき見たことのない男だった。

男は汚い野球帽をかぶり自転車に跨がってゆっくりと進んでいた。

僕はその男を後ろから歩いて追いかけたが、追いつくつもりもなかったし、ただ危険な男ではないという自分が安心出来る何か証拠を発見してさっさと部屋に戻りたかった。

男が角を曲がった。その角まで行くと空き地で女の子が穴を掘っていた。

その女の子が、『貴様は誰だ?』という眼で僕を見ていたので出来るだけその子の近くには立ち止まりたくなかったのだが、そこを越えると得体の知れない男との距離が詰まりすぎるのも怖かったので女の子に背を向けてしばらく立っていた。

男はというと、周囲を見渡しながら時々立ち止まり観察するように建物をじっくりと眺め、しばらくすると再び自転車で走り出し、また立ち止まるのという行動を何度も繰り返していた。

男は犬を見つけると、自転車を止め可愛がっているのか、馬鹿にしているのか解らないような態度で犬に手をふり微笑んだ。僕の男に対する恐怖心は更に大きくなった。

長い時間男の後を追っていたので、いつの間にか自分の家からだいぶ離れてしまった。

男が自転車で通った後の道で中年の女性と老婆が何やら話合っていたので、あの男の話かもしれないと思い僕もその会議に交ざろうと、近寄って行くと、『この靴、一足だと二千円なんだけど、二足だと…』とどうでもいい会話をしていて二人は僕の存在に気がつくと、『貴様は誰だ?』という冷たい眼で見てきたので色々と馬鹿らしくなり帰ることにした。

帰りに空き地の横を通ると女の子はもうおらず、穴を見るとすぐに底が見えて全然掘れてなかった。これからしばらくは戸締まりをしっかりとしようと思った。

緊張感

井の頭公園を一人で歩いていると、100mくらい前方からセーラー服の女性と思しき人が、こちらに向かって歩いて来るのが見えた。

僕と妖怪以外は誰も歩いていないような、深い時間に暗い道をセーラー服の女性が一人で歩く風景は相当違和感があり、出来ることなら僕は一目散にその場を立ち去りたかったが、立ち去ることを決定して逃げることは、そのセーラー服の女性がこの世の者ではないと決定することでもあるので、それはそれで困る。

僕としては何もないことが一番なのだ。そんなことを考えている内にセーラー服の女性と僕の距離は徐々に縮まる。距離が近くなればなるほど女性が何故か大きく見える。

二人の距離が30mくらいまで縮まった時にはセーラー服の女性が僕よりも完全に大きいことは疑いようがなかった。

更に距離が縮まる。デカい。精神的に追い込まれているからデカく見えるということではなく、どうやらセーラー服の女性は単純に質量としてデカいようだ。

まるで格闘家のようだ。10m付近まで来て、確信した。

この人は女性ではない。カツラをかぶりセーラー服を着てはいるが間違なく男だ。

もしも彼と僕が本気で戦ったとしたら僕の命は3秒と持たないだろう。

自分の呼吸が荒くなるのが解った。もしものために僕はポケットの小銭を強く握った。これでパンチ力が増す。

などと思っている内にセーラー服のいかつい男は僕の至近距離まで迫っていた。

僕は無力にポケットの小銭をはなした。駄目だ勝てるわけがない。僕はフリーザーの前のクリリンだ。

しかし、セーラー服のいかつい男は僕に見向きもせず真直ぐを見てそのまま歩き去った。

奴は一体何だったのだろう?僕は大きく息を吐いて、胸を撫で下ろした。今日は早めに散歩を切り上げて早く家に帰ろう。そう思った時だった。

僕の真横を圧倒的な暴力の恐怖感が通り過ぎた。

奴だった。右手に缶コーヒーを持ち嘘臭いまでに背筋をただし前方の一点だけを見つめて音も立てずに去って行った。

奴は何だったのだろうか?どこであの缶コーヒーを飲むのだろうか?僕は奴が消えた先に背を向け足早に家を目指した。

しばらくすると遠くの方から、『ゴゴォ〜』と缶コーヒーを強力な力で吸うような、巨大で不安を煽るような音が聞こえた。

しかし、その音が奴のものなのか、水鳥園の鳥の鳴き声なのか、はたまた幻聴だったのかはいずれも定かではない。

駅名/金は重い

  ・駅名

京成電鉄に柱にひらがなで、『けいせいつだぬま』と書かれた看板があるらしい。ひらがなだと可愛らしい。

『京成津田沼』で特急に乗り換えた人の話だと、京成津田沼の次の駅が、『やつ』だった。

『やつ』かっこ良いなぁ。

『やつ』ボーイッシュな女の子が幼馴染みのことをそう呼びそうだ。

『やつ』物静かなお父さんも、『やつ』に引っ越したなら、『やつ』を使って一つ駄洒落でも言ってみたろかなと思いそうだ。もしかすると駄洒落生産料日本一じゃないだろうか?

でも漢字で書くと、『谷津』。大人だ。絶対声変わりしてる。ひらがなと漢字でここまで雰囲気が変わるのも不思議だ。

『やつ』から更に、『上野』方面に向かうと、『かいじん』という駅があるそうだ。悪いぞ。あじとが沢山あるぞ。窓ガラスがわれた雑居ビルだらけだぞ。漢字で書くと、『海神』神様だ。全然悪くなかった。

更に進むと、『おにごえ』という駅があるらしのだが、それは漢字で書くと、『鬼越』で普通に悪そうだった。

『にっぽり』という駅もあるらしいに『にっぽり』は美味しそうな駅名だ。『日暮里』漢字で書くと少し日本昔話だ。

  ・金は重い

生涯通じて僕が金メダルを貰うことなんてないだろう。

金メダルを貰ったら、絶対に嬉しい。ましてやオリンピックの金メダルということは世界一だ。

男子『自分の部屋で寝そべりながらオリンピックを観戦し、首を振り過ぎる扇風機のせいで少し汗ばみ、コンソメWパンチを食べて指についた何かをこすって落とし、なんとなく明日の天気を気にする』

そんな競技があったとしても、僕より遥かにいかつい男が五万といるだろう。金メダルなのだから、普通に喜んでいれば十中八九スターだ。

しかし、もしかすると、『昨日のアイツ喜び方めっちゃキモかったなぁ〜』と噂される可能性も有り得る。何かで秀でた才能を持つ者は他の事でも、優れている事が往々にしてあるので、『喜び方のキモさも同時に世界一』という事だってあるだろう。

あと一つ僕が金メダルを取る上で不安なのが、金メダルの重さだ。

何歳で芽生えた発想かは定かではないが、金メダルの重さに耐え得るのは金メダリストしかいないと、どこかで信じている。

子供の頃に読んだ漫画にそんな話があったので、それを鵜呑みにしているだけかもしれないが、あのメダルは無茶苦茶重くて一般の人が持つと、たちまちその重さに耐え切れずメダルを地面に落とし、床とメダルの間に手を挟んで大怪我をしてしまうのだ。

そう思っていたら、男子体操団体の表彰式で金メダル授与の際、金メダルを大量に載せたおぼんを係りの女性が持っていた。

しかも、その女性は涼しい顔で平然と立っていた。恐るべき身体能力だ。

本屋/コンビニ袋/何年前

  ・本屋

なんとなく入った本屋で、この間そういえばこの本の話が出たと気になった本があった。

その本は数年前に読んだことがあるので家に帰れば本棚にあるはずなのだが、その場で頁をめくる内に今すぐに読みい気持ちになってしまった。

我慢しても仕方がないので、その本とその作家に関連したもう一冊の本を買った。買った本を移動中に読んだ。

最後に巻末にある年表を読んだのだが、作家が往生した日付が正にその当日だった。不思議な偶然もあるものだと思った。

  ・コンビニ袋

コンビニエンスストアーに入店し、棚からチューイングガムを一つ選び、それを購入するためレジスターを操作する店員さんに手渡しバーコードレーザーをスキャナーして貰った。

この表現はあってるのだろうか?『バーコードレーザーをスキャナーして貰った』とか辺りかなりあやしい。

簡単に言うとコンビニでガムをレジに持って行った。

すると、店員さんがガムを小さいビニール袋に入れようとしたので、『あっ、袋結構です』と僕は言った。本当は全く驚いてなどいなかったので、『あっ』という反応は本来は嘘だった。

だが、『袋結構です』だけだと少しキツく聞こえてしまいそうだったので、『あっ、袋結構です』と僕は言うことにした。

本当は全く驚いていなかったが、全く怒ってもいなかったので、正確に自分の感情を店員さんに伝えるためには、『あっ』というクッションが必要のように感じられた。

僕の人相は決して爽やかな方ではないし声のトーンも低いので、やはり『あっ』というのはあって良かったのだと思う。

『あっ』というのは、ある種の感動を伝えるのに大変便利なのだと思う。

っていうか、あっ、ギャルみたいになってもうた。また『あっ』という言葉に救われた。

というか、こんな説明はきっとどうでもよいのだ。そんなことより、あの小さなビニール袋は必要なのだろうか?『あっ』とどちらが必要だろう?今日はもう『あっ』はいらないか。

またコンビニに行くことでガムを買うことがあったら、はっきりと『袋いらないです』と言うことにしよ。

  ・何年前

四年振りに友人に会った。八年前の話で盛り上がった。

『安室奈美恵』さんのことを僕が、『安室なみへい』とかんで発音してしまったことがあったらしい。

沖縄県で、『又吉』は『安室』の次に多い苗字なんだよという僕の渾身の雑学は、水炊きの取り分け作業にかき消された。

何年も前は二十歳だった。ニットキャップを絶妙なバランスでかぶることに必死だった時期だ。

『色々な考え方があるけれど、それでも僕は老人に席をゆずるよ』と一つの答えを出した時期だった。

何年も前の何年も前は十二歳だった。ファミレスのドリンクおかわりシステムに度肝を抜かれた時期だった。たて笛を入れる袋の中に一緒に入っているグロスの活用方法が解らず苦悩した時期だった。

違うなぁ、と思いながら周りの子供達と同じようにクレヨンで何重もの円を描き、『何を描いたの?』という先生の質問に対して、『お母さん』と答えながら、『いや、僕はお母さんのことなど本当は一切考えていなかった。ただ何故かクレヨンを持つと他の皆と同じく狂ったように円をグルグルと書いてしまうんだ。

出来上がった幾重もの円の一部の隙間を見て、「お母さん」と完全に後付けで答えてしまったと確かに自覚しながら、絵を描くってこういうことじゃないんだろうな』と気付いた時期だった。

四歳の八年前はマイナス四歳、『およげ!たいやきくん』、『なごり雪』などが流行っていた時期だった。僕は生まれる四年前だったがタコ焼きを食べながら、よく聴いていたような気がする。そう考えると八年前とは、結構前だなと思った。

好きなパスタ

普段なら行かないようなチェーン店でペペロンチーノを食べた。

ペペロンチーノという名前が好きだ。『ぺ』が連続で並ぶというのが良い。ペペロンチーノの、『ロ』がもしも穴埋め問題だとしたら、僕は迷わずそこに『ぺ』を放り込むだろう。すると、『ぺぺぺンチーノ』になる。

そうなってみると、『ぺ』の本来持つ魅力が損なわれてしまったような気がする。素晴らしい能力を持つ典型的なFWが三人いるが、3トップにすると中盤が薄くなって前線にパスが通らない。

しかし、試合に出さないのも、もったいないので、一人は中盤で使ってみた所、全体のバランスが大きく崩れてしまい機能しなくなったサッカーチームのようだ。だから、『ペペロンチーノ』はそのままで良いのかもしれない。

ところで、僕はいつも困ってしまうのだが、ペペロンチーノに入っている炒めたガーリックスライスは全部食べても良いのだろうか。それとも少量残すのだろうか。

僕は、フォークを使うのが苦手なので、上手くガーリックスライスを麺に絡めることが出来ず、大多数が最後まで残ってしまう。だから、ガーリックスライスを残さずに食べようと思うと、終盤にガーリックスライスだけを食べなくてはならない。

逆に、ガーリックスライスは味付けだけのもので意識的に全部食べるようなものではないと店員さんが思っていたとするなら、全部食べてしまっては具合が悪い。皿をさげる店員さんに、『こいつ、ガーリックスライス全部食うてる』と思われ、お店で「ガーリックスライス」というニックネームが付いてしまうからだ。 そのようなニックネームが一旦定着してしまうと、そのイメージを払拭することは簡単ではない。

僕がペペロンチーノを注文する度に厨房は、『ガーリックスライス来た〜!』と盛り上がり、僕のペペロンチーノにだけ多めにガーリックスライスを入れてくるだろう。

それが幾度も繰り返された頃、恐らく僕は大きな皿に山盛りとなったガーリックスライスだけをフォークに突き刺し口に運んでいるだろう。

時間が空いたら、『おうどんとパスタの正しい食べ方』という類いの本を探しに行こう。目次に、『パスタの食べ方に正解などない』という項目があったら、僕は迷わずそのページを開くだろう。

あせるやん

京都で歩いていたときのこと。

歩道に何か大きく黒い物体が倒れていた。近寄ってみると、その物体はうつぶせで倒れている中年男性のようだった。

咄嗟に助けなくてはと思い声を掛けようとしたが、ふと思いついたことがあって言葉を飲み込んだ。もしかするとこの男性、眠っているだけかもしれない。

もしも声を掛けて無理やり起こしてしまい、『眠れないから子守歌を唄え』と言われたら災難だ。僕は歌唱力が無いし、ちゃんと唄いきれる子守歌も覚えていないから。

だからといって、知らぬふりをして通り過ぎるには、あまりにもインパクトが強過ぎる風景だ。

なんせ歩道にうつぶせで倒れる男性なんてそうそうお目にかかれるもんじゃない。いや、大阪の新世界の中ならいそうな気がするけれど。実際に男性が路上で寝ていることがあった。しかも裸で。

駆けつけたお巡りさんにその男性は「暑いから裸になって寝ていた」と言った。ほんまかいなって話だけれど、新世界では男性がうつぶせで倒れていても不思議でじゃない。

だけどここは京都だ。新世界ではない。事故の可能性も充分に考えられる。迷っている場合ではない。勇気を出して声を掛けた。横を自転車が二台通過した。

黒い物体は反応を示さない。トントンと背中を叩いて見ると、ようやく髪とか服の中から顔が出て来た。思った通り、中年の男性だった。

『大丈夫ですか?』と声を掛けたら、『涼んだら帰ります。ありがとうございます』と男性が言った。

『そうですか、起こしてすみません』と僕が言うと、『いえ、こちらこそすみません』と男性は応えた。

しっかりした口調だし問題は無いだろう。自分の意志で男性は眠っていたのだ。正直に言うと、依然巨大な違和感は心にあるのだが、まぁいい。

男性に背を向け行こうとすると、男性に『どこから来たんですか?』と聞かれた。僕は振り返ると指で七条方面を差して、『あっちです』と答えた。

すると男性は、『いやいや!そういう事じゃなくて!大阪とかぁ!関東とかぁ!観光?』と急に口調とテンションがフランクになったので恐ろしくなってしまった。

『あっ、大阪です』と僕は答え一刻も早くこの場を去ろうと再び歩き出した。男性が僕に、『お気をつけて』と言った。もう一度振り返ると、やはり男性は寝たままの体勢だった。『あんたや』と思った。

あの時、もしも男性が僕の眼を見て、『交代』と言ったら、今度は僕が男性の代わりにあの場でうつぶせになり、次の人が来るまで待たなければならなかったのでは?などと意味のない無駄なことを考えていたら、自分の中で不安が膨れ上がって行くのがわかった。

祇園四条の灯が見えた途端早歩きになった。めっちゃびびってるやん。

ファミレス

この前ファミレスに行ったときに知人を呼んで行った。知人は中学生時代の、地元のツレのような雰囲気がある。

そこでドリンクバーを2つ注文し、僕は便所に立った。

何故か、知人が便所までついて来たかと思うと、便所に入るなり、『いやドリンクバーちゃうんかい!ついて来てもうたわ!』と叫び出て行った。便所に入る前に絶対ドリンクバーでは無いと、わかるだろうと思った。

席に戻り、しばらくして僕がオレンジジュースを飲み干すと、知人が『何か入れてきましょか?』と珍しく気を利かせてくれることを言ったのでお願いした。

するとドリンクバーの所から帰って来た知人の手に持たれているドリンクの様子が明らかにおかしい。

知人の眼を見ると、楽しんでやろう感が通常時の3倍以上出ていたので、『これは完全にイタズラしよったな』と思った。

『お前このコーラーなんでカフェモカみたいな泡出てんねん?』

『どこがですか?全然出てませんやん。』

『いや、色もおかしいやん?』

『おかしないですって、飲んで下さいよ』

考え過ぎたのだろうか?取り敢えず飲んでみたのだが、案の定殺人的に不味かった。

『まずっ、お前これやっぱり2つ混ぜたやろ?』

『違います。4つです。』

そういって、知人はケラケラと笑った。大人で、このイタズラをやる奴がいるとは思わなかった。お腹が痛くなったらどうするつもりなのだ。

『今度はちゃんと入れてきます』

しばらくして、知人がそう言った。

『お前イタズラするからええわ』

『もうしませんって』

『ほんまに混ぜんなよ』

『はいコーラーで良いですか?』

『うん』

そして、知人がコーラーを持って来た。

アワのたち方も普通なので恐らく大丈夫だろう。飲んで見ると、だいぶ甘く感じたがさっきのスペシャルドリンクで味覚がおかしくなっただけだろうと思い顔を上げると、知人が再び、楽しんでやろう感を3倍以上出し僕の表情を窺っている。嫌な予感がした。

『コーラーと紅茶混ぜたんですけど美味しいですか?』

『やっぱり混ぜてんねやん!』

知人はケラケラと笑った。隣りのテーブルで勉強していた青年が鬱陶しそうに知人の顔を睨んでいたが、知人は楽しそうにケラケラと笑い続けた。

知人の思考は、まだ中学生だ。

体育/パソコン

  ・体育

僕は、昔から好きなことになると真剣になり過ぎて周囲から冷たい眼差しを向けられることが多かったのです。

中学時代、体育の授業で持久走を行う際、誰もが『寒い寒い』とつぶやきながら、長袖の体操着に手まで隠し腕を組み身体をさすっていた時でさえも、僕だけは皆より五分ほど早く運動場に出てアップを完了させ半袖半パンでスタートラインに立っていました。そんな僕を見て特に女子達は完全にひいていました。

僕は鼻水と涙を流しながら全力で走り自分以外の全ての人を周回遅れにしました。

周りからすれば何が目的なのか全くわからないでしょう。でも走るのは気持ちの良いものです。今でもたまに真夜中の甲州街道、明け方の井の頭通り、夕暮れの街道、十年前通った街道などを全力で疾走することがあります。体力が著しく低下しているのに感覚は早く走れた頃のままなので気を失いそうになります。

  ・群れてくる

パソコンの使い方がよく解らなくて知人に電話したときのこと。

私『なんか日記書いてて4ページ以降、ページがないんやけど、どうしたら良いの?』

知人『エンター、何回も押してみて下さい』

私『あっ、増えた。なんぼでも行ける。20ページくらいまで行けた』

知人『それで大丈夫です。それで、100ページまで行ったら玄関のインターホンが鳴ってオッサンが来ますけど絶対に出ないで下さい』

私『わかった。え〜100ページを越えるとピンポン鳴って、オッサンが・・・』

僕は真面目にメモを取りながら知人の話を聞いていたので、途中まで知人のボケに気付きませんでした。

ボケツッコミの才能のある人なら、すかさず『変なオッサンなんか来るか!』とか「誰が来んねん!』とか『いやオッサン何しに来んねん!』とツッコミ面白い感じにできたことでしょう。知人には申し訳ないことをしました。

電話を切った後は日記に集中しました。いつの間にか朝が来て、そろそろ寝ようかなと思った頃に、ピンポン、とインターホンが鳴りました。ページを見ると100ページです。

オッサンが来たようです。知人には絶対に出てはいけないと言われましたが、気になったので静かに玄関まで行き、のぞき穴から外をのぞくと、『100P』という文字が入ったハチマキを頭に巻いた変なオッサンが、巨大な『エンターキー』を両手に抱え肩で息をしながら立っていました。

ドア一枚を挟み、僕はしばらくオッサンを見ていました。

たまたま通りがかった新聞配達員にオッサンは『巨大なエンターキーを押して下さい』と眼で促しました。新聞配達員がそれを押すと、オッサンは『ありがとうございます』と小さな声でお礼を言い小走りで帰って行きました。

僕がパソコンの前に戻ると、101ページ目が出ていました。巨大なエンターキーを自分で押しても良かったなと思いました。

書いたり消したり/紙コップ

  ・書いたり消したり

この前の夜は明け方まで開いている喫茶店で文章を書いたり消したりしていた。

でも実のところは、そうやって自分で書いたものを読んでいる時間の方が長くて、読んでからも又消したり書いたりするのだけど結局消したり書いたりした後も又読んで更に消したり書いたり読んだりしていた。

こんなことならいっそのこと書かなければ良いのだけど、書くことは予め決まっていて、だから書いて消して読んで書いて読んで消して読んで書いて消して読んでジュース飲んで読んで『あっ、ここさっき読んだわ』と思いながらも同時に『まぁええわ』と思い又読んで書いて消して読んで書いて読んで書いて読んで書いて読んで消してジュース飲んで読んでジュース飲んで読んで書いて消して読んで書いて読んで消して書いて書いて書いて読んで消して店員を気にして読んで抹茶アイス頼んで書いて書いて読んで消して書いて読んで書いて読んで書いて読んで消して読んで抹茶アイス食って読んで書いて書いて読んで書いて読んで読んで書いて消して読んだりしていた。

そんなことを繰り返している内に日付が変わり、『とにかく巨大であれば何でも面白い』というような、一人で長時間ノートと対峙していると必ず訪れるもう何も考えてはいけないという兆候が出始めたので散歩する大義名分が出来たと安心し散歩の支度のため意気揚々とトイレに入りトイレの水を流すと目が覚めるようなエメラルドグリーンの水が流れてきて、

そこに唾を吐くと僕の唾もエメラルドグリーンで、『口からブルーレット出てもうた』と一瞬あせったが、その口から出たブルーレットが流れ切らない内に僕は冷静になり、それが先ほど食べた抹茶アイスのためだと気付いて安心した。

そこからはダラダラと街中を彷徨い、二時間ほどすると明るくなって来たので帰って寝た。

そして朝。起きたら友達からメールが届いていて開くと、『結婚しました』という幸福な内容で嬉しかった。

どのような精神状態だったのか何故か僕はそのメールを読んだあと、とにかく『昨日』と『今日』の軋轢を埋めなくては強く思いCDと本を大量に大量に買い込み破産して、又読んだ。

  ・紙コップ

みんなで集まってテーブルトークなどを長時間しているとノドがかわくので皆で飲む飲み物を用意して貰っています。

それを紙コップに入れて飲むのですが、人数が7人近くいるのでスグにどれが誰の紙コップか解らなくなってしまいます。

いくら慣れ親しんだメンバーとはいえ誰が使ったか解らない紙コップを使うのは嫌です。

だからと言って新しい紙コップを、いくつも使い続けるのは非常にもったいないので僕は自分の使った紙コップに名前を書くようにしています。

そうすれば、紙コップを無駄に使わなくてすみますし、他の人と同じ紙コップを使うこともないからです。

しかし、メンバーの一人はそれを一切無視して、わざわざ僕の名前の書かれた僕の紙コップで思いっきりお茶を飲んでいました。

しかも、『おい、俺の紙コップ使うなよ〜』と僕が言うと、『別にいいやろ』となぜか別のメンバーにキレられました。

ちょっとそのキレたメンバーは僕のことを好きな可能性があります。

人生の髪型

髪の毛を切りに古い友達が働く美容院に行った。

美容院の扉を開けると旧友が僕を見るなり、傷だらけで道端に倒れていた旅人を家まで運び慌てて介抱するようなテンションで椅子に座らせた。

僕は鏡に映る自分を見ながら自嘲気味に笑うことしか出来ず己の髪の毛の行方を静かに見守った。

手際良く、作業をする友達。実のところ僕は、今の髪型が結構気に入っていた。時々人に笑われたりもしたけど、何か好きだった。

そういえば中学時代の僕は、古着屋で得体の知れないクレイジーなガラシャツを買って来て家族に笑われたり、自転車に鏡を付けて昭和40年代風に改造してお巡りさんに止められまくったり、チューリップハットの復活を企んだり、真夏でも学生服の第一ボタンをしっかりと止めたりと常に自分なりの美学を追求していた。

先日、実家で発見した中学時代友達と共に写っている写真では、皆はジーンズに古着のアディダスのジャージとオシャレな組み合わせだが、僕はオッサンのようなグレーのスラックスにピカピカの革靴、そして蛇ガラのタイトなシャツを着ていて、どう考えても中学生には見えないふざけた格好で、もちろん特に人から褒められることなどは無かったが、あの頃の僕は時代や流行りなど一切気にせず全て自分の好きなものだけを選択して生きていた。

更にさかのぼって小学生の僕でさえ、2年生の頃には皆が登下校の際にかぶる黄色い帽子の後ろに必ずマジックで当時格好良いと思っていたマークを描いていた。

5年生くらいになると、目立つのが徐々に嫌になって来て、何故か年上の6年生や中学生から目を付けられるのが面倒臭かったのもあり、マークを描くのも止めたのだけれど、基本的に暴力がとても怖いので。僕は暴力には抗うことが出来ず従順なのだ。

とは言うものの、まだ自分というものを大切にしていたような気がする。

うってかわって、高校時代は、『どれだけ目立たず過ごせるか』とか、『極めて普通であることがカッコいい』などという僕の中での新機軸と呼べる感覚が誕生した時期だった。

そのため今だに僕の中では、『自分の好きなもの』と、『一般的で目立たないもの』という相反した2大勢力が常に精神内部でぶつかり合い終わること無き葛藤を繰り広げている。

今回の髪型にしてもそうだ。

自分は何故か気に入っていたが、初めて僕の髪型を見る人は、『俺変わってますよアピールしている人』と認識するか、『ただのウケ狙い』と認識するか、『美的感覚のずれている人』と認識するか、いずれにせよ中々インパクトの強い髪型で必ず何かしらのメッセージを他者に発してしまうことは自分でも解っているので恥ずかしいという気持ちも少しある。

昔、『自分の好きな女性が他の人から見たら凄くブサイクで自分だけしかその美しさに気付かなければ良いのになぁ』などと思ったことがあったが、それが湾曲した感覚で、『この個性的な髪型が皆から見たら全然普通の目立たない髪型だったらなぁ』というような思いに近い。

『でも、まぁ、そこまで拘泥する問題でもなくて、又別の髪型にするか、いっそのこと坊主にするか、俺将来ハゲんのかな?』などと一人で考えていると、僕の髪を切る友達に、

『そういえば、何年も前に「カッコ良いから、思っていた髪型にしてみたい」とか言ってたけど本当にしたね』と言われ、そうなんだ・・・と理解者を自分の歴史の中に発見出来て嬉しかった。

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