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10.27.2023

価値の基準

もし酸素が有料だったとしたならば、年齢に応じて一定の金額を納めるだけなら嫌々ながらも諦めようがあるが、何らかの計測機を持たされ吸う量によって金額が変わるとしたら誰もが出来るだけ酸素料金を安く抑えるために空気を吸う量を減らす工夫をするだろう。

空気を深く眠っている時くらい減らすことが出来るヨガが空前の大ブームを巻起こし、夏休みや正月休みを理由し、海外へ高地トレーニングに出向く者もいるだろう。

中には、大きな穴を掘りその中で暮らして酸素料金を抑えようとする家族も出て来るかもしれない。

その反対に国内でスポーツなどの運動をする者は極端に減り、『有酸素運動』などという言葉は、今でいう『乗馬』や、『ポロ』などと同じくらい高貴なイメージがつき一般的に親しみのない言葉になるだろう。

一度、酸素料金が高騰したなら、『有酸素運動』は『黒魔術』というような言葉に近い形で使われるかもしれない。

しかし、今のところ酸素は無料だ。あらゆるものが有料なこの世界だが酸素は無料なのだ。

だから、空気を吸う度に感謝の気持ちを…などとは少しも思わないが、価値に関して考え出すと酸素無料で良かったと阿呆の小学生のようなことを思ってしまう。

僕が痛切に欲しいのは、『手ぶら』だ。

僕にとっては両手に何も持っていない状態が手ぶらで、袈裟がけのカバンや、リュックは無いにこしたことはないが大人なので、あっても仕方がない。

僕が思うに、『飲みやすいように曲がるストロー』と手ぶらほど過小評価されている価値は他にないのではないか?

手ぶらでも行けるのに手ぶらで行かないのは、曲がるストローを曲げず真直ぐの状態で飲み物を飲むのと同じことだ。いやそれ以上だ。

大きい荷物なら諦めもつく。しかし小さい物で、変わりがあって後からでも手に入る物なら基本的に僕は持ちたくない。

傘を持ちたくない理由も、一つは手ぶらを尊重しているからだ。雨に濡れているが手ぶらな自分は、決して不幸ではない。

だから、手ぶらで歩けることは凄く楽しいことで、とても有意義なことなのだが、だからといって物をバンバン捨てるわけには行かないので毎日ストレスが溜まる。

そのような時、僕が頭に思い浮かべるのは大きなカゴに入った大量の携帯電話を順番に手に取り、そして固い石の壁に向かって、おもいっきり投げて破壊することだ。開いた状態で投げても良いし、閉じた状態で投げても良い。

リアルに1時間手ぶらで歩ける権利に僕は600円なら払える。月に自由に使えるお金が2万円あるとしたら600円なら余裕で払える。

本当に疲れてて、何にも囚われず自由に歩きたい時なら1000円まで払える。現に僕はコインロッカーを頻繁に使っている。よっぽど大事なものか、その時に必要なもの以外は一切いらないのだ。

持てて本だ。文庫本はポケットに入れるが、単行本は手に持つこともある。

本は後から読む瞬間を想像すると、その重さを上回る満足感を得られるのであまり苦痛に感じない。

飲み物は飲みたい時に買う。飲みたくなるまで1時間か、30分か、持って歩くのは苦痛だ。食べ物も同様だ。

たまに大家さんだったり、知り合いのおばさんからパンなどを頂くことがあって、今から散歩しようと思っていたのに20分程かけてわざわざ自宅までパンを置きに行き再び散歩に出掛けることもよくある。

さすがに頂いた物は捨てれない。それに好意自体は凄く嬉しい。ただ精神的には苦痛だ。重い。

600円の、もしくは1000円の手ぶら状態を剥奪しても許されるものは本以外だと中々難しいのかもしれない。

価値の基準は人それぞれ違うのだろうが、僕にとって手ぶらは非常に重要な状態なのだ。

10.25.2023

訪問者

部屋の扉をドンドンと叩かれた。叩き方が荒かったので知り合いではないと思った。

大家だろうか?しかし家賃は毎月納めているし、近所迷惑になるような騒音を出した覚えもない。

一応部屋の中から扉を開けずに、『はい』と返事をしてみたが相手は黙っている。気味が悪いので、僕も途中からではあるが居留守という形をとろうと思い黙ることにした。

扉をはさんで無言の二人。だが、この扉は僕の部屋の扉なので精神的には僕の方が圧倒的に不利だ。

静寂の中で、僕は先ほど、『はい』と応えてしまったことを後悔していた。僕は居留守を使う上で絶対にとってはいけない行動をとってしまったのだ。

そのため中途半端な居留守になり、厳しく言えばもはや居留守でもなんでもないのである。

しかし前向きに捉えれば居るのに扉を開かないというのは僕の意志を真直ぐに表現することでもあり、『そういうことなのでお引き取り下さい』ということなのだが、扉の向こうの誰かは一向に立ち去る気配を見せない。

何故そんなことがわかるのかというと僕のアパートは築60年以上で、傾いた廊下は京都知恩院にある鶯張りの廊下よりも遥かに汚い音ではあるが、京都知恩院にある鶯張りの廊下よりも遥かに大きな音が鳴り防犯には優れているのである。怖いなぁ。何だろう?何も悪いことをしていないのに不安になってきた。

60秒くらいたち、ようやく誰かは僕の部屋の前から立ち去った。廊下を踏む音が徐々に遠ざかり階段をおりる音が聞こえた。

誰だったのだろう?このままでは不安は解消されない。僕はサンダルをはいて音をたてないようにゆっくりと扉を開こうとしたが、ギイギイと結局音は鳴るので神経質ななるのは諦め普通に外に出て階段をおりた。

その誰かは、恐らく60代と思しき見たことのない男だった。

男は汚い野球帽をかぶり自転車に跨がってゆっくりと進んでいた。

僕はその男を後ろから歩いて追いかけたが、追いつくつもりもなかったし、ただ危険な男ではないという自分が安心出来る何か証拠を発見してさっさと部屋に戻りたかった。

男が角を曲がった。その角まで行くと空き地で女の子が穴を掘っていた。

その女の子が、『貴様は誰だ?』という眼で僕を見ていたので出来るだけその子の近くには立ち止まりたくなかったのだが、そこを越えると得体の知れない男との距離が詰まりすぎるのも怖かったので女の子に背を向けてしばらく立っていた。

男はというと、周囲を見渡しながら時々立ち止まり観察するように建物をじっくりと眺め、しばらくすると再び自転車で走り出し、また立ち止まるのという行動を何度も繰り返していた。

男は犬を見つけると、自転車を止め可愛がっているのか、馬鹿にしているのか解らないような態度で犬に手をふり微笑んだ。僕の男に対する恐怖心は更に大きくなった。

長い時間男の後を追っていたので、いつの間にか自分の家からだいぶ離れてしまった。

男が自転車で通った後の道で中年の女性と老婆が何やら話合っていたので、あの男の話かもしれないと思い僕もその会議に交ざろうと、近寄って行くと、『この靴、一足だと二千円なんだけど、二足だと…』とどうでもいい会話をしていて二人は僕の存在に気がつくと、『貴様は誰だ?』という冷たい眼で見てきたので色々と馬鹿らしくなり帰ることにした。

帰りに空き地の横を通ると女の子はもうおらず、穴を見るとすぐに底が見えて全然掘れてなかった。これからしばらくは戸締まりをしっかりとしようと思った。