・本屋
なんとなく入った本屋で、この間そういえばこの本の話が出たと気になった本があった。
その本は数年前に読んだことがあるので家に帰れば本棚にあるはずなのだが、その場で頁をめくる内に今すぐに読みい気持ちになってしまった。
我慢しても仕方がないので、その本とその作家に関連したもう一冊の本を買った。買った本を移動中に読んだ。
最後に巻末にある年表を読んだのだが、作家が往生した日付が正にその当日だった。不思議な偶然もあるものだと思った。
・コンビニ袋
コンビニエンスストアーに入店し、棚からチューイングガムを一つ選び、それを購入するためレジスターを操作する店員さんに手渡しバーコードレーザーをスキャナーして貰った。
この表現はあってるのだろうか?『バーコードレーザーをスキャナーして貰った』とか辺りかなりあやしい。
簡単に言うとコンビニでガムをレジに持って行った。
すると、店員さんがガムを小さいビニール袋に入れようとしたので、『あっ、袋結構です』と僕は言った。本当は全く驚いてなどいなかったので、『あっ』という反応は本来は嘘だった。
だが、『袋結構です』だけだと少しキツく聞こえてしまいそうだったので、『あっ、袋結構です』と僕は言うことにした。
本当は全く驚いていなかったが、全く怒ってもいなかったので、正確に自分の感情を店員さんに伝えるためには、『あっ』というクッションが必要のように感じられた。
僕の人相は決して爽やかな方ではないし声のトーンも低いので、やはり『あっ』というのはあって良かったのだと思う。
『あっ』というのは、ある種の感動を伝えるのに大変便利なのだと思う。
っていうか、あっ、ギャルみたいになってもうた。また『あっ』という言葉に救われた。
というか、こんな説明はきっとどうでもよいのだ。そんなことより、あの小さなビニール袋は必要なのだろうか?『あっ』とどちらが必要だろう?今日はもう『あっ』はいらないか。
またコンビニに行くことでガムを買うことがあったら、はっきりと『袋いらないです』と言うことにしよ。
・何年前
四年振りに友人に会った。八年前の話で盛り上がった。
『安室奈美恵』さんのことを僕が、『安室なみへい』とかんで発音してしまったことがあったらしい。
沖縄県で、『又吉』は『安室』の次に多い苗字なんだよという僕の渾身の雑学は、水炊きの取り分け作業にかき消された。
何年も前は二十歳だった。ニットキャップを絶妙なバランスでかぶることに必死だった時期だ。
『色々な考え方があるけれど、それでも僕は老人に席をゆずるよ』と一つの答えを出した時期だった。
何年も前の何年も前は十二歳だった。ファミレスのドリンクおかわりシステムに度肝を抜かれた時期だった。たて笛を入れる袋の中に一緒に入っているグロスの活用方法が解らず苦悩した時期だった。
違うなぁ、と思いながら周りの子供達と同じようにクレヨンで何重もの円を描き、『何を描いたの?』という先生の質問に対して、『お母さん』と答えながら、『いや、僕はお母さんのことなど本当は一切考えていなかった。ただ何故かクレヨンを持つと他の皆と同じく狂ったように円をグルグルと書いてしまうんだ。
出来上がった幾重もの円の一部の隙間を見て、「お母さん」と完全に後付けで答えてしまったと確かに自覚しながら、絵を描くってこういうことじゃないんだろうな』と気付いた時期だった。
四歳の八年前はマイナス四歳、『およげ!たいやきくん』、『なごり雪』などが流行っていた時期だった。僕は生まれる四年前だったがタコ焼きを食べながら、よく聴いていたような気がする。そう考えると八年前とは、結構前だなと思った。