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6.20.2025

サムライじゃなくてもブルー

大量の雑魚に囲まれて早速ピンチなヒーロー。しかし雑魚がマシンガンを何百発乱射しようがヒーローにはかすりもせず、逆にヒーローが拳銃を5発撃つだけで雑魚が3、4人仕留められてしまう。そんなシーンはテレビに頻繁に登場し、「そりゃーねーだろ」と思うことも多い。


しかし、冷静に考えれば現実にも選ばれし者と雑魚の区別は思いの外猛烈に存在する。力のある者とない者、100と0かのごときその圧倒的な差は実はものすごく身近にもあり、決して他人事ではないのだ。


例えば、キモオタが何百回告ろうがギャルには欠片も相手にされないが、イケメンや金持ちとかサッカー日本代表の選手なんかはギャルから告る、とか・・・・・・・・・・おっと、例えがリアル過ぎて必要以上にしんみりしてしまった。


ということで、今回も始まりです。





   ・サッカーウォーズ

アメリカの超エリート大卒の元エリート、田舎の中堅進学校(偏差値だいたい54)に新任教師として赴任。

「一緒に東大を目指そう。お前たちはやればできる」情熱的ありながらも繊細で優しく、彼は生徒たちには慕われていた。


「お前たちは子供じゃない。どうしたら東大に受かるのか、自分で考えてみるんだ」教科を指定する程度で、授業は基本的に自習。


「東大は甘くない。人生を賭けて受験しなければ受からないぞ」受験直前に「基本が大事なんだ」と繰り返し英単語の書き取り練習を敢行。結果全員不合格。


去り際に「この学校の生徒たちは根本的な問題として偏差値が足りてなかったように思う。その部分の改善が今後東大を受験する場合に避けて通れないだろう」とコメント。クラス一の秀才(偏差値だいたい61)が浪人のショックで引きこもりに。


過去にサッカー日本代表を率いていた監督に、こんな監督がいたなぁ... そして、後を引き継いだ老教師が、「落胆したとしたら楽観視していたということだ。保護者も含め、この学校がどの程度のレベルか現実的に知る必要がある」と申しておりました。





   ・試合終了まだですか?


ぼくの力の及ばないところで用事がもっそい遅れていて、待たされたり急かされたりばかりしている。


今ぼくにできるのは時間を稼ぐことくらいだから、机の上に置いてあるなんかを置いたり戻したり位置を直したり、靴の紐を結び直したり、キャビネットに足をぶつけて大袈裟に痛がったりしてみてるのだが、たぶん周囲の人達からの激しいブーイングしかこないだろう。


ホームにいるのにこのプレッシャー。サムライ、とてもブルー。警告を受ける度に肩をすくめたり両手を大きく広げて反省したふりしつつ、機会があれば即遅延行為。


負け試合なのにこの必死感。諦めてないわけじゃない。諦めてるのに終わらない試合もあるのだ。それが今。

ライバル!

最近のプロ野球離れがあるようなないような、そんな話を聞いたような気がしないでもないけれども、日本選手が活躍しているメジャーリーグのように注目をあびているようになってもらえる嬉しいものだ。

そういえば、優勝を決めた球団のビールかけで選手たちのテンションの高い姿を見ていると、昔の世界的プロ野球王者決定戦の期間中のとあるメジャーリーグで活躍する日本選手のテンションがすこぶるおかしかったことをつい思い出す。


色々とあったんだとは思うけど、試合中でもインタビューでも普段クールなその選手からは考えられない喋り過ぎのはしゃぎ過ぎで、世界的プロ野球王者決定戦の終了後のメジャーチームに戻って一段落しつつ、冷静に自分の言動を振り返って徐々に心がモキュモキュし始めていたのではないかと他人事ながらに心配になっていたりしていた。


まぁ断片的に甦ってきた普段グールなぼくからは考えられないなぜかよく分からない突発的な異常なテンションに今パソコンの前でだいぶモキュモキュしてきてるんだけどね、ぼくもね。


どなたかその選手にに会ったら「あの時やっぱりモキュモキュしてた?」とお聞きして下さい。


ということで、今回も始まりです。




   ・ライバル指向

最近ぼくのライバルと思える奴が現れた。テレビの向こうにいる人物だ。もちろん全く面識などない。一方的なライバル宣言である。


でもそれでいいのだ。相手が自分のことをライバルだと思っているかどうかは関係ではない。ステージ上のアイドルと目でコンタクトしたと確信できれば運命的なものがあると確信し、モニターのむこうの2次元の娘と心が通じ合っていると思うなら通じ合っているのだ。

ただ、そのことは自分の胸の中で秘めておくだけにして、決して他の人に言うことは控えた方がいいと思うよ。



話は戻して、そのライバルには幾つかの共有点がある。まず名前がなんとなく似ている。アニメが大好きで日本語しか喋れない点もキャラ被りだ。どこまでも生意気なヤツめ。


まぁそのライバルはドMらしいのでMのぼくの方が上だな、とか思うわけだけれども、あんまり関係ないが、世の中には明確な優劣はなくとも比較すると上下に感じる同ジャンルのものもある。


  ・SとMだとSの方が上っぽく、MとドMだとMの方が上っぽい。


  ・カブトムシとクワガタだとカブトムシの方が上っぽく、ヘラクレスオオカブトとカブトムシだとヘラクレスオオカブトの方が上っぽい。


ダジャレが増えてくると人して下っぽい。

10.03.2024

絶対最強伝説

人とは、なぜ同じ過ちを繰り返すのだろう。

あれほど後悔しかない同じ過ちを繰り返さないと切実に誓ったりするのに、駄目恋人に苦労して結局別れて人生をリセットしたのに新しく付き合った相手がまた駄目恋人だったり、

なぜあれほど頭は痛くなり胸の気持ち悪さが長時間続く辛すぎる二日酔いに苦しみ二度と深酒はしないとたかだか約1カ月前に誓ったにも関わらず記憶がなくなる程飲んだりしたりするのだろうか。

なーんて、本当にそういった話をよく耳にする。といっても僕も子供の頃も試験終わってから「次こそ勉強しよう」と思って実際に勉強したことないことを、子供じゃない今で同じようなことを繰り返してるのだけど。


  ●アメリカ最強説


個人的に「アメリカには勝てない感が半端ない」と思わされることが非常に多い。


・メジャーリーグやプロバスケットボールなどに代表される、2m以上の大男がその巨体が仇となって遅くなると思われる陸上競技で100m10秒を切ったりする有り得ない身体能力。


・頼まれてもいないのに「平和にします!」と世界のどこへでも攻めて行く有り得ない正義感。


・好き勝手食べておきながら太ったのは食べ物を作ったヤツのせいだと言える有り得ない思考力。


・ハリウッド版ポケモンを作ったら絶対にピカチュウですらアメリカセンスによってタッチ多過ぎ!と思う以上に濃いタッチ入れ具合にドン引きするほどにモンスター化する有り得ない想像力。


・孤高のヒーローが全身タイツや真っ赤なパンツを履いて戦いたがる有り得ない美的センス。


そしてそれらを項目化して見るとギャグとしか思えない内容なのに、現実をみると全然ギャグとは思うことなく全て受け入れさせられる圧倒的説得力がホント、アメリカには勝てない感が半端ない。




  ●夜ニ鳴ル電話


3週連続で夜の10時前後に電話が掛かる。


  「◯◯、いつになったら帰るの!早く帰ってこい!」


  「◯◯、アンタいま何時やと思ってるの!いい加減帰ってこい!」


  「◯◯、連絡も無しにいつまで遊んでるの!電話してこい!帰ってこい!」


日本の治安は確かに安全だ。とはいえ、夜の徘徊はあまりよろしくないし、連絡も入れていないならなおさらだ心配して注意するのもわかるが、電話番号にもそれなりに注意して欲しい。

どこの留守電に入れてるつもりかしらんが、怒りは◯◯という息子に届いてはいないぞ多分◯◯のオカンと思われる電話主。


そして、驚いたことに、この文章を作成中に、電話が掛かった。記録が4週目に突入した。

4.03.2024

ピンチをピンチにしそうなアニメ観賞

コンスタンスにブログ更新できている身が言っても信用はないだろうけれども、細やかなピンチが微妙に折り重なって現在悪戦苦闘中だ。

自分がピンチなのはいいんだけど、たいがい、他の人にも迷惑ウイルスがまき散らされる…自分のピンチが苦労で辛いことよりも、そっちの方が辛いものがある。これこそまさに暗黒スパイラルだ。

ピンチではあるものの、録画していたアニメを見てたりもしている。ちょっと感動頂戴モノなんだけれど、始まる前からもう涙腺がゆるむのはスタンバイオッケーになっている。

喜びも出来事も微妙なんだけど、静かに響いてくる感じがとてもグッとくるのだ。登場人物がだんだんと等身大の男の子になってきいく演出なんかもまたグッとするポイントなのである。

幻想の憧れのまま人の気持ちが成就されたら、単なるエゴイスティックな”人間”にしかならないし、そういった突き詰めたものはなかなか見かけない。

それが災いして一端は憎まれてしまいそうな人も、でもそこを乗り越えないと嘘を嘘のまま繋げてもしかたがない。

これがきっと人としての戦いなのではないだろうか…と、自分のことと照らし合わされるようなことを思わせられる作品なのである。

この作品の監督のインタビュー記事を読むと、私が思っていたほど、それほどたいそうな意味は込められている無いようなことをおっしゃってましたが、いやいやなかなか、さては作品に込めた一番深い何かについては語りを伏せる人なのかもしれないと、勝手に解釈してみる。

なぜかというと、自分もそんなタイプのような気がしたから。

といったようにアニメも見つつもピンチが解消されるでしょう近日中に返す刀で本日遠出する予定です。

遠出といえば、プラモデル聖地に行ってみたくもある。その時はいかに遊ぶか、いかに自分の考える通りの得をするかが課題だ。

プラモデル聖地の食堂の御茶は上手いのかとか、プラモデル聖地の食堂の人気メニューは何だとか、プラモデル聖地の食堂の椅子の座りごこちはどうかとかプラモデル聖地食堂から見える景色はどんな感じなのかとか、

色々どうでもいいことも含まれているが、いろいろスキあらば確かめてみたい事がたくさんある。

そして帰りはもちろん、お茶買って帰るのだ。

2.27.2024

似顔絵を描く子供とプラモデルを作る大人

母の日や父の日などの時に街を歩けば、店先に幾つもの児童の描いた母や父の似顔絵が貼り出される光景をよく見かける。

そういったイベントのある時にだけ似顔絵を募集して貼り出されているのかといえばそれだけではなく、同一テーマのアニメ作品のキャラクターのイラストを描かれたものも貼り出されていたりするのもよく見かける。

やはり純粋な子供の直筆の文字やストレートなイメージから描かれるイラストは、溢れる独創的なものに加えて、あたたかみも感じさせられるものがある、と思う。親の似顔絵の時とはまた違った印象を感じさせられる。

昔は子供なのにすごく上手なイラストにまず目がいっていたものだけど、最近は全面蛍光ペンで塗りつくしてあったり、角が丸く切ってあったり文章やイラスト以外の自己主張表現があって、
それが描く子供毎に全く異なる表現がなされていて、見ていてとても楽しかったりするのだ。

私の子供時代のときも、こんなふうな似顔絵を描いて貼り出されたことがあったかも、と思ったりもする。なにぶん子供時代のことなので全く記憶はないんだけでども。

ただ、2,300円台のプラモデルを複数点作って、段ボールの台に絵の具で色を塗ってジオラマを作成して、近所のおもちゃ屋さんに出して店先に飾ってもらったことはあった。子供時代でもプラモデル大好きって、全然成長していないなぁ。

プラモデルといえば、人生の生活の切れ目にプラモデルを2つほど作った。どちらも特徴のある象徴的形をしているので、現時点での両タイプ最新クラフティング解釈を知る事が出来る興味深いキットなのである。

そのうちのひとつはひさびさにノーストレスで作る事が出来た。ビスの配置、無駄なポリの仕込みなども無くなってスタンダードを極めた作りのように思えた。欲は、とある箇所の変形?的なギミックを仕込んで欲しかった。

あとひとつの方は出来上がりやトータル満足なのですが不思議とひっかかる要素が多かった。ビーズ式パイプの組み立てやっぱきつい。パーツとパーツの接続が不安だ。完成しても万が一ここがはずれたら散らばっていまう。

なぜか一部パーツ限定のアンダーゲートは御愛嬌か。2種類の造型にかなりのギャップが否めないといった感じがある。

このプラモデル、以前に発売されていたもののバージョンアップ版なのだけでど、随分と印象が違う気がする。やっぱり機構はちゃくちゃくと進化を遂げているのだ。

1.21.2024

のどかな公園

この前、特に予定もなく時間があまりまくっていたので、なんとなく少し足を伸ばして遠出をして大きめの公園へ散歩に出掛けた。

その日は休日だったということもあり人が多く、手入れされた綺麗な芝生の上で子供達が走りまわったり転がったり跳ねたり、家族でお弁当をひろけだり、とてものどかな景色だった。

前日からほとんど眠っていなかった僕は、公園ののどかさや爽やかさの対極は恐らくこのような色だろうといえるほど悲惨な顔色をしていた。

こんなことなら遠出をしてまで散歩に出掛けずに、家で寝ていればよかったなぁと後悔もあったが、
家を出るときは寝不足にありがちなナチュラルハイ状態で、やけに元気だったので、これなら今日は寝なくてもいける!と思って出掛けてしまったのだ。

しかし公園の風景はそんな僕にとってものどかで心地が良かった。

僕も周囲の人達に習い、『気持ち良いなぁ』などと言いながら、芝生の上に座ってみたのだが、綺麗に刈られた芝の先に肌を刺されて意外なほど痛かった。

あまりに痛かったので驚き、思わず立ち上がってしまい、周囲を見渡してみたが、やはり芝生の上で子供達が走りまわったり転がったり跳ねたり、家族でお弁当をひろけだりしていた。

とてもチクチクして肌が痛かったがせっかくの爽やかな気分を壊すのも嫌だったので芝生が痛いという感想は気にしないことにしようかと思った。

だけど、ふと、周りを見てここにいる笑顔の人達、子供も含めて全員がこののどかな雰囲気を壊さないように、少しずつ自分に嘘をついて芝生が痛くないというふりをしていたとしたら恐ろしいなと思った。

そんなことも思いつつも結局芝生のチクチクに耐えられず、立ち上がって芝生から出て公園をブラブラすることにした。たとえ芝生に座っていなくても、公園のこの光景はとても僕を癒してくれるからだ。

その後しばらく歩いてから公園を出て、お腹も空いてきたので「うどん」を食べようかと街の方へと移動して商店街の道を歩いていると、視界の端の方で「おうどん」と書かれた看板が見えたような気がして、

立ち止まりその看板の方へ顔を向けると、「おうどん」ではなく、「あうん」と書いてあり、うどんとは何の関係もなかった。

「うどん」屋は偽物だったが、どうやら公園ののどかな風景は僕の心ものどかにさせたようで、公園のあののどかさだけは本物だったんだと安心できた瞬間でもあった。でもやっぱりあの芝生の上に座れそうにもない。

1.20.2024

台風の午前

冬なのに夏の話なのだけれど、台風情報が結構出てきた時。

台風が近付いているということを聞いて、台風が上陸したある日のことをふいに思い出していた。

その日は駅前にいた。二十四時を過ぎた辺りから雨が降り出し、ようやく上がった時には午前三時をまわっていた。

雨が降り出した直後の駅前は右往左往と豪雨から逃れる人々の慌てる姿が目に入り居心地が悪く緊張した。

商店街のアーケードの下で雨宿りをする人。心細げにビニール傘を頭上にさし駆け出してみたが横殴りの雨にいてこまされている人。知らない人と一緒に深夜まで営業している店に駆け込む人。

駅前で雨宿りしていても台風なので雨がやむ気配を感じれず、商店街の入り口付近の店に入り本を読みながら雨が過ぎるのを待った。

午前三時に雨が上がったので店を出て散歩に出かけた。散歩をする時間がしばらくなく、ようやくと思えば雨で鬱屈とした精神状態が続いていたので、自由に歩ける喜びと解放感から僕は有頂天になっていた。

幸いなことに午前三時という曖昧な時刻と雨が上がった直後という曖昧な天気のため往来に人影はなく誰の目も気にすることなく僕は浮かれながら歩くことができた。小学校の遠足ならば確実に引率の先生に叱られるような歩き方だ。

両手とも指でわっかを作っていたし、脇も少し開きしめていなかったし、ニ歩と同じ歩幅では歩かなかったし、坂道は後ろ向きでのぼったりした。補足すると、これは幼い頃に僕が編み出した坂道を疲れずのぼる必殺技だ。

そんな浮かれた歩行を続けていると、いつの間にか前方から坊主頭の若い男性が歩いて来た。僕は一瞬で弛緩していた筋肉に緊張感を取り戻し、私は普通です、というふりをした。

すると、すれ違った瞬間に男性が突然僕に声を掛け『おはようございます』と丁寧に挨拶をされた。以前知人と飲みに行った時に知人が連れて来た後輩だった。やってもうたと思ったが今さら後悔しても後の祭りだ。

変な歩き方は見られただろうか?何とか上手く取り繕わなければと焦ったが、妙案は思い浮かばなかった。

『わざわざ挨拶してくれてありがとうございます。嬉しかったです。また知人と一緒に飲みにいきましょう。失礼します。』

そのように普段なら絶対に言わないようなセリフを口にして、その場を足速に去った。一人になると激しく後悔した。挨拶だけでいいものを焦ってしまい変に長く余計なことを喋り過ぎた。

先程まで踊っていた心を落ち着けて冷静に考えると、はなっから雨は上がってなどおらず終始小雨がぱらぱらと降っていた。上着が湿っているのにも気付かされた。

恥じらいが更なる恥じらいを生むことも多々ある。恥じらいとは非常に有益な感情だと手放しには言い難いと思った。そんなことより、台風はいつ日本を離れるのだろうか。

そんな日の事を思い出した冬の日

口調/知人の行方/季節の流れ

  ・口調

人生の大半を無表情で過ごして来たためか僕は顔の筋肉が固いのだけど、朝は顔の筋肉がほぐれていないので尚更表情が固く表面にノリを塗っているようだ。

朝は言葉も真直ぐに出て来ないので一人で顔の体操をしたりする。知人と二人並んで顔の体操をしていたら気持ち悪いから一人で行うのは当然だ。

それにしても、昨日友達と喋っていたとき、夜だったので顔の筋肉も一日で最も軟らかい状態であったにもかかわらず、『かないませんね』と発するべき言葉を、かんでしまい、

『かないまへんね』となぜか浪花の商人みたいに言ってしまいました。

そのような粋な霊が僕に憑いているのでしょうか。季節が冬だというのに冗談のつもりでかいたけど冗談に思えなくなってきてちょっとひや汗をかいた。

  ・知人の行方

『息子を捜して欲しいんやけど』とある知人の母親から連絡があり、『全力で捜します』と答えたのが数ヶ月まえで、色々と手を尽くしたが結局見つからず、

男だから少々音信不通になったからって心配することあらへんと思っていいた気持ちが、ちょと心配になってきた。

そしたら、その友達から留守電が入っていて、『冬のあいだ、海外に出ていま〜す!遊びに来てな〜』という元気な声だった。

良かったけど。そして友達と遊ぶためだけで海外になんて行けないけど。

そのようなテンションで来られたら、『心配しててんぞ』と怒りにくい。どうしよう。海外には行きたいけども行けないけど。

  ・季節の流れ

今日は知人と合流して電車を乗り継いで目的の駅へと向かった。

今日は普段以上に上手く乗り継げたと思う。

今日の外は昨日と比べても暖かい感じがする気温だった。最近寒い日が続いていたのでちょうど良かった。

あと何日か経てば寒い夜も終わりが来るだろう。だけどその夜きっと僕はまだ長袖なのだろう。

それから更に数日が過ぎると長袖を着ていては暑い夜が来るだろう。その夜きっと僕は薄い生地の長袖を着ているから、結局ちょうど良いだろう。

しかし、やがて薄い生地の長袖を着たところで、どうしようもないほど暑い夜が来るだろう。そんな夜僕はエアコンをつけているから、あまり関係ないだろう。

エアコンで冷え切った部屋の中で寒すぎる僕は敢えて暑い夜の中に飛び込んで行くだろう。そんな夜は暑ければ暑いほど、ちょうど良いだろう。

これまでの流れとは全く関係ないが、やかましくない色のママチャリをこぎたいと二ヵ月くらい思ってる。

輪ゴム拳銃

輪ゴムで遊びながら商店街を歩いていると、僕の前を歩く男の傘が、前から歩いて来た四十代くらいの女性の頭に当たった。

すると女性は露骨に嫌な表情を浮かべて振り返り、何も気付かずに行ってしまった男の方に向かって歩き出した。

女性は男に苦情を言いに行くのだろうと思い見ていると、女性はそのままの足で迷わず電気屋に入って行き、電池コーナーを物色しだした。えっ、これってどういうことだろう?

腹が立って振り返った瞬間に探していた電気屋が見つかったのだろうか?それだけのことによってさっきまでの腹立たしい感情も消えたのといんだろうか?沸き上がって来た感情は何処で処理をするのだろう。

さっきまで怒っていたのに、もう女性は電池を手に取り二個入りにするか四個入りのパックにするか思案している。

なんでもないといった感じで電池を物色する女性のその姿はとても不思議だ。電池を食うと怒りを消化できる人なのだろうか。

そんなことを考えながら歩いていると僕を追い越して行く人の傘から飛び出した骨の先端に付いているキャップが僕の真ん中で分けた髪のセンターラインを優しくなぞって行き瞬間的に体温が低下したような感覚になり、なんか情けなかった。

その時には輪ゴムでの拳銃の作り方を手が思い出していて、いつでも発砲できたが、もちろんそんなことはしない。そんなことをしたら馬鹿だと思われるからだ。そんなことをして実際に誰かに当たったら怖いし怒られるからだ。

それに独りで居る時に思い付いたことを、そのまま誰かに持って行って関わろうとすると大概は上手く行かず変な感じになるからだ。

僕は輪ゴムの拳銃を空に向かって、撃たない。

なぜなら、それはなんか古いからだ。そしてなんかキツいからだ。そして、なんか悪寒を感じてしまう行為だからだ。

そんな気分が沸き上がってきた僕は、逆の手のひらに撃とうかなと思った。それが一番自然に思えたからだ。

だが、結局はどこにも撃たなかった。撃たずに指から外した輪ゴムをズボンのポケットにしまい込んだ。そんなことを言い出したら本当にきりがない。

自然に振る舞おうと意識するのは凄く不自然だ。書くこと自体も不自然だ。色んな事のやり方を忘れてしまった感覚に陥ってしまった。

1.09.2024

群れてくる/子供のすること/麦わら帽子

  ・群れてくる

ベンチに座ると一斉に鳩が僕の足下に集まって来た。

なぜ鳩達は僕を餌をあげるタイプの人間だと判断したのだろう。他にもベンチは三つあって、その全てに人が座っている。

なぜ、よりよって僕の所に集まって来たのか。早くも僕は公園で注目を浴びている。

鳩に餌をやるのは老人が多い。老人の回りに鳩が群がる光景をよく眼にする。「あの老人喰われるんじゃねぇか」と見ていて怖くなる時すらある。

老人が着ている服は灰色や茶色が多い。その色は鳩に近いから鳩達も親近感を持ちやすいのかもしれない。たまに首もとに紫色のスカーフを巻いている老婆がいるが、鳩もよく見ると老婆と同じように首もとに紫色のスカーフを巻いている。ますます鳩と老人はファッションセンスが似ているのだ。

他のベンチを見渡すと、他の人達は服装が若い。だから、体格も服装の雰囲気も比較的老人に近い僕が鳩達に選ばれてしまったのだろうか。

近付いて来た鳩は排気ガスで汚れた酷い色だった。が、僕が着ているジャケットは驚くほど汚ない鳩に似ていた。

僕と僕の回りに群がった鳩は、遠くから見ると巨大な一羽の鳩に見えるだろう。遠くから見ると僕は鳩に半分以上喰われているだろう。

  ・子供のすること

少し雨が降っていた日のことでした。影絵の手を作り壁を凝視している子供がいました。

でも陽がさしていないので壁には何もうつっていませんでした。何もうつっていませんでしたが、子供は指をひらひらさせてました。

恐らく、ちょうちょです。もしかしたら、大きめの蛾かもしれません。

子供が去ったあとに陽がさし、時間差でちょうちょがうつるなんてことはないのでしょうか。

  ・麦わら帽子

オープンカーの後部座席で婦人が麦わら帽子をかぶっていた。

随分勇気があるなと思った。

オープンカーで麦わら帽子をかぶっていたら、普通なら風で飛ばされる。

あそこまで頭に帽子がフィットするのはおかしい。

帽子で隠れている婦人の頭。耳の上が膨らんでいてそこにひっかかるようになっているのかもしれない。

格好良かった。あれで日傘させたら完璧な貴婦人だ。

傘はさすがに骨裏返ってバサッ、バサバサバサバサ、右手ウーン、ってなるやろうけど。

1.06.2024

チラシ

メガネ屋のチラシを貰っても困るものがある。

街中で無差別に配ると、半分程は完全に無駄なものになってしまうチラシの一つだと以前から思っていた。

例えば鰻屋のチラシを貰えば、その時に腹が減っておらず、鰻など全く食う気がしないと思っていても、『鰻屋がそこにある』と記憶が上書きされるので、いつか腹は減っているが何を食べれば良いか解らず途方に暮れている時に『鰻』という選択肢が出来るので効果はある。

しかし、メガネ屋のチラシを貰っても、視力が良い人間にとってはメガネをかけている家族や友達の付き添いのほかに行くことが無い。

すると折角のカラー印刷されたチラシが無駄になってしまう。チラシを受け取る所作も無駄になってしまう。全く同じ動きでハガキをポストに投函することも出来るし、ヤギに餌をあげることも出来る。

しかし、メガネをかけている人やコンタクトレンズを使用している人からすれば有効なチラシであることは間違ない。

そして、コンタクトレンズがある限りメガネをかけている人だけに限定してチラシを配るというわけにも行かないのだ。

だから僕はメガネ屋のチラシを配っている人を見つけたら、大分手前から『眼が良いような顔』で歩くのだが、やはりそんな顔は自分の気持ちだけの問題であり、『眼が良さそうな顔』の規範が世間に流布していない限り、僕が考案した『眼が良さそうな顔』を、相手が『チラシを異常に欲しがっている顔』と捉えても仕方がないのだ。

しかしそういったシチュエーションは滅多に起きない。ティッシュ配りなら頻繁に出会うものだが、メガネ屋のチラシはそうそうない。コンタクト屋のチラシでもそんなにないのだから。

しかし、そんな滅多にないシチュエーションが、いま目の前に起きていた。そして案の定チラシは差し出される。

意味が無いし無駄になるから受け取らないのだが、この相手からの干渉を一方的に遮断するという行為を実行するにあたって自分の感情が微塵も動かないかというと、そんなことは無く少量ではあるが確かに罪悪感が生じる。

前方でメガネ屋のチラシを配っている男の人と眼が合った。僕は咄嗟に『眼が良さそうな顔』を作った。

チラシを配る男の人が意味ありげに深く頷いた。僕の渾身の『眼が良さそうな顔』が伝わったのだろうか?

チラシを配る男の人の横を通ると、やはりチラシを渡された。全然伝わって無かった。よくよく考えると今日はメガネをかけていた。

メガネ屋のチラシを配っている人からすれば、『来た!来た!来た!来た!来た!来た!来た!来た!』と思ったことだろう。

12.28.2023

缶コーヒー / 当りか外れか / 人ではない声

  ・缶コーヒー

僕は夏で寝る時にはエアコンは使わない。扇風機を使う。でも扇風機の風にあたりっぱなしになるとすぐに体調を崩してしまうので、基本タイマーで1時間程度で切れるように設定している。

だから寝起きはとても暑い。今日はなんか冷たい缶コーヒーが飲みたくなる。目が覚めるような苦めでありつつも、ミルクも砂糖も入ったものを。

家の中のことを考えるとある程度の暑さを覚悟していたのだが、そういう時に限って意外にも外は思ったほど暑くなかったりする。

そんな時は一気に寝起きの不快感が消滅するような心地良さを感じさせる。自動販売機に小銭を入れコーヒーを買って家に帰るのだ。

そして気付いた。ブラック買ってしまっていることを。

寝起きで目を覚まさせるためにちょっと苦めのコーヒーを買うつもりだったのに、ブラック買ってしまっていた。まだ頭の中は起ききれてなかった。

無理やりに色々と良い感じにしたがる癖がある。さすがにブラックのコーヒーは飲む気がしないから、また買いに行くかどうか悩まされてしまう。

もう一度、缶コーヒーを買いに行こうか?また買いに行って別のメーカーのブラックコーヒーなんか買ってしまったら、家に帰ってふて寝してしまうかも。

そんな夏を待ち焦がれている冬の今日。

  ・当りか外れか

ラーメン屋で、つまようじを一本引っ張りだしたら真ん中辺りの一部分が焦げ痕のように黒く変色していた。

どうやら無数にあるつまようじの中で、僕が取ったものだけが痛んでいたようだ。

そのつまようじは、少し圧力をかけるとすぐに真っ二つに折れた。

ハズレなしのクジでハズレを引いてしまったような気分だった。

または当たりなしのクジで一人だけ当たってしまい周囲の注目を浴びて後悔しているような状態だ。

こんな夜は家に帰り部屋を掃除する。すると新鮮な気持ちで明日に向えるのだ。

  ・人ではない声

街を歩いていると、人間ではないものの声がよく聞こえて来る。

このように書いてしまうと、今から自分の出生の秘密と幼き頃に天狗より授かった不思議な能力について語りたくなるのだが、そんな能力は残念ながら持っていない。

人間ではないものの声とは音声ガイドのことである。街を歩いていると、ATMや自動販売機など至る所から声が聞こえて来る。

先日、駅でトイレを探していると、『滝の御トイレです』という声が聞こえて来た。

どんなトイレだろう。滝のように水が流れるのか?自然の滝に放尿するのだろうか?

いずれにせよ面倒臭そうだ。

いっそのこと我慢しようかとも思ったが、一応トイレの様子を見てみようと思い近付いて行くと、『滝の御トイレ』では無く、『多機能トイレ』だった。

わだかまりが消え若干の気持ち良さを感じ、このことを誰かに伝えたいと強い衝動を感じた。

12.22.2023

食堂のデザートメニュー

よく行く、安い食事処にて腹を満し食後に水を飲んでいたら、壁に貼られたデザートのメニューが気にかかった。

どうやら身体があっさりとしたものを欲しているようだったので、何か一つ注文しようと決めたのだが、『柚子シャーベット』や、『ブルーベリーなんちゃら』に交ざって、『フランボワーズソースアイスクリーム』なるものがあった。

『フランボワーズソース』とは一体何だろう?と思い、恥を忍んで若い男性店員に聞いてみた。

僕は出来るだけ偉そうに成らぬよう、また、悪ふざけで聞いていると誤解を受けぬよう、言葉と声のトーンに気を配り、『すみません、このフランボワーズソースとは、あの〜、どのようなソースでしょうか?』とたずねた。

すると、男性店員は明らかに周章狼狽し、『少々お待ち下さい』と全て言い終らぬ内に、厨房の奥へと消えて行った。

気のせいだろうか?店内が一気に恐ろしいほどまでの静寂に包まれたような気がする。

偶然訪れた村で禁句とされている、王の名を口にしてしまい村人達に家の門を次々と閉ざされ、闇の中で一人取り残された男の不安と同様の心持ちで、僕はコップに残った水を取り敢えず飲んだ。

しばらくすると、先程の男性店員が戻り、僕の席の横に立った。

そして男性店員は、『こちらがフランボワーズソースです』と言って、よくマヨネーズやケチャップが入っているようなプラスチックの容器を僕に見せた。

何ということだ。ソースそのものを見せられても僕は何も理解することが出来ない。

『あ〜これかぁ、これなら安心だ。じゃあ、これで』とは成らないのである。

確かに、その容器には何語であるか判然としないアルファベットで、恐らく『フランボワーズソース』と読むべき文字が並んでいた。

しかし、せめて原材料を見せて戴きたかった。そうすれば、『フランボワーズ』の主な成分が何であるのか掴むことが出来ただろう。

僕は、『グッ』という声を無理やり飲み込み、『あ〜なるほど』と応えると、男性店員は再びスタスタと厨房の方へと戻って行った。

結局僕はデザートを食べず、表に出て自動販売機で幾度となく飲んだ経験がある缶コーヒーを買い、『これこれ』と思いつつ帰った。

12.19.2023

クレーンゲーム

ゲームセンターのクレーンゲームの景品でキャラクターのぬいぐるみやフィギュアといったものが魅力的に感じ過ぎてついついプレイしてしまう。

あれってキャラクターグッズとしての魅力の高さもさることながら、クレーンゲームでしか手に入らないという限定感が上乗せされているからかもしれない。

昔のクレーンゲームの景品、特にぬいぐるみの類ってゲームのケースの中に乱雑に置かれていて、それも大量に置かれているので山の様になっている、もはや置いてるのではなく積んでいるような状態のものをクレーンのアームで取るといったものだった。

だけど今では、目当てのぬいぐるみはアームの届かないケースの奥にいわば見本として置かれていて、実際にアームで掴むものはただの箱やらボールやらに。その箱やらを本来景品を入れる穴に落とせば、ケース奥に置いてある見本のぬいぐるみを貰えるといったシステムになっていたりする。

でもそれって何の意味があるの?と思ってしまいそうになるけど、もし景品がフィギュアだった場合、アームで持ち上げたフィギュアケースを景品排出口に落とした時、

アームはわざわざ景品排出口の中まで降ろしてくれず、頭上高くまで上がったアームの位置から景品排出口めがけてフィギュアケースを離し、そして実際に塀品を取り出す場所は足下にあるため頭上から足下までフィギュアケースが落とされるという荒い受け渡し方法が行われ、

結構な高さから落とすものだからケースの箱が潰れたりといった事象が起きやすく、ケースも痛みがちになりそうだ。

その点、アームで掴むものが単なる箱やボールといった景品でないものならば、ボールを景品排出口を落とせば後から店員さんから直接景品を受け取れるためフィギュアケースを痛めずにすむので逆に大助かりなんじゃないかと。

利点はフィギュアだけではなくぬいぐるみにも。ぬいぐるみを直接アームで掴むとき、目当てのぬいぐるみが目の前にあるのに、ぬいぐるみの山の中に埋まっている絶対に取れない状況の為に、残念な思いをすることが何度もありがち。

しかしこの景品以外の物をアームを掴んで落とす方式なら、あとで展示されている見本のぬいぐるみの中から好きな物を選ぶことができる。

そう思うと昔に比べてクレーンゲームのハードルが随分下がったなぁ。

逆にいうとハードルが下がった分だけプレイする回数が増えるというわけで、でも取りやすさは昔とさほど変わっていないので沢山お金を投入してしまいがちに陥ってしまいがちなんだけど。

12.12.2023

ウォークング

都心の駅に行くとよくウォークング姿の人を結構目に付いたりします。

私は普段はウォーキングとかジョギングとかしないんですけど、以前に市が開催したウォーキングイベントに参加したことがあった。

都心から少し離れた地域で駅から少し離れれば自然豊かな光景が広がる中で、指定されたルートに従ってウォーキングするといったものだった。

自然の中で歩くのはとても気持ちが良いものなんですが、自然豊かだということは人影が少ないというか殆どいないということなので、そんな中をウォーキングするのはやっぱり怖いものがあって、なかなかできにくいものです。

しかし今回は市が大々的に打ち出したイベントということで沢山の参加者と一緒にウォーキングすることになるため、普段行けないような自然の中をウォーキングすることができたのは、とても嬉しことでした。

ウォーキングする際には指定されたルートに従って進むわけだけども、ちゃんと参加者ひとりひとりに丁寧にルート内容が記された詳細地図を渡されたので、迷う心配もないようにしてくれたのが助かった。

とはいっても、参加者が多いので道が分からなくなったらウォーキングの格好をした人についていけば問題ないだろうなぁ、って思いながらも。

ウォーキングもただ道を歩くだけばかりでなく、その土地にゆかりある神社に立ち寄るのもルートに入っていたのもよかったと思った。

特に一番よかったのは大学の中を通るといったルートがあったことでした。

学生や関係者しか立ち入ることができない大学に入れることなんてないことなので、大学の敷地もルートのひとつだと知ったときは大喜びしてしまった。

もちろん敷地内に入れるとはいえ通り抜けるだけなので大学内に施設には入ることは出来ないわけなんですが、それでも大学の敷地内ってどういう風になっているのか見ることができたし、本来なら不審者と思われそうな写真撮影も今回はイベント参加者が通るということが分かっていることなので、

警備員の横で建物の写真を撮っても不審がられることもなく、記念になる写真も撮ることができて大満足で、これだけでもウォーキングに来たかいがあったというものです。

市の指定したルートにそってウォーキングするだけのイベントでしたが、普段見掛けない自然の中をウォーキングしたり、その自然の中でお弁当を食べたり、ルート上にある土産物屋さんに立ち寄ったりと、とても充実したイベントだった。

11.09.2023

宝くじ

テレビでは宝くじのCMが流れていますが、その時期に合わせたテーマの宝くじが発売されますね。

新しい宝くじが出ると興味が向けられますが、でも宝くじは買っても一度も当たったことがないので沢山の種類が出ている中でも年末の宝くじしか買いません。

でも買ったとしても当たるなんて期待もしませんけどね。なんというか一年の節目の意味で買っているようなものです。

なので無欲なので1回だけでも当たってもよさそうなんだけれど。って、それが欲なんのだから当たらなくても仕方がないな。

年末のような宝くじが発売される時は、宝くじを販売する場所に購入する人が集中するために特設売場が設けられる場合がある。

特に都心だとさらにその場所が都心であると人の集中ぶりが大変な人数になるので、売場近くの外の広場に沢山の特設売場が設けられるのですが、

さらにその特設売場で大当たりが出たとなると人が集中し過ぎて行列になるのが通例となっています。

それほどまでの売場になるとワイドショー番組などでも取り上げられ現地に取材に行ったりするもの。

すると、その時に宝くじに関する知識とか、当たった時のこととかを説明したりするのですけど、前に見た時、その宝くじの1等の当せん確率が昨年の2倍ということで、

ワイドショーでアナウンサーが満面の笑みで実際の当せん確率を説明してたんですが、まったく当たる気がしない数値だった。

やっぱり宝くじはくじを買うのではなくて夢を買うものなんだぁ。と、そんなことを実感したりも。

宝くじ知識といえば、かなり昔に見た番組なんですけれど、宝くじで億単位の当選者に対して銀行が銀行内の別室に連れて行くそうなのだそうだが、

それは当選金の引き渡し(億単位の金額なんて窓口なんかで対応できませんから)だけのためだけでなく、何故か当選者に今欲しいものを聞くそうだ。

たとえば車が欲しいと言ったらすぐにカーディーラーを呼んでその場で車を購入させるそうだ。

なんでも急に大金を手にしたため冷静さを失いパニックに陥らせないために、なんでもいいので欲求を満たせて落ち着かせるためなんだそうです。

大金を手にしたら人が変わるというほどですから、億単位ものお金が手に入ったらそりゃあパニックにもなっちゃっても仕方ないと思う。

なので私は億単位ではなく1千万程度の当選でいいです。なんて、そんなことを言ってるから宝くじ全然当たらないんでしょうけれど。

今年も残り二か月です

11月になりました。今年ももう10ヶ月が過ぎたことになりました。

月日はいつも思った以上に早く過ぎてしまうという実感があるものですが、今年は引越しという残り日数が決められたイベントがあったことで例年以上にドタバタしていたこともあってか、
1月からの今日まであっという間に過ぎ去った感があります。

引越ししてから幾分経ったのですが、未だに荷物を全て荷崩しできていません。

廊下に、台所に、開封さえしていない段ボールが置かれています。

それどころか、居間にまで段ボールが。とても場所をとられていて、手足を伸ばして寝転べない状況です。全然引っ越しが完了していないのと同じ状況のまま日々が過ぎています。

場所を取るといえば、中身を出した後の段ボール。

と折り畳んでコンパクトな状態にして玄関前の廊下に積み置きしているのですが、とはいえ量が数個ではなく50個近くあるものですから結構な場所を占拠されています。

そして、それらは未開封の段ボールとは違って全然不必要な物であるので場所を取られる邪魔なだけで仕方ありません。

今ある不要となった段ボールだけでも処分してしまって、占拠されていた場所も自由に使えるようにしたい、ただでさえ家の各所に積み置きされた未開封段ボールも多いので無駄になってる場所を最小限に抑えたいと思うところです。

しかし、業者のサービスの一つに不要となった段ボールを引き取りに来てくれるものがあるのですけど、無料で引き取りに来てくれるのは1回だけで、2回目以降に引き取りに来る場合は別途有料となってしまうため、
未開封段ボールの中身を全部出して、1回の引き取りで全部の段ボールを引き取ってもらいたいと思っていたら未だ呼べずにいる。

その無駄に取られたスペースも家賃として払っているのですから、そう考えると早く解決させなければ、と思うところです。

11月に入ったというのに、まだこんな引越しはしたというのに引越しに関する作業がまだ完全には終わってなくて、まだ作業に追われる中での日々が続いていたら、今年もすぐに終わってしまいそうです。ただでさえあと2ヶ月しかないですし。

それに早く荷崩しを全て終わらさないと今よりももっと寒い冬がやってきて何もしたくなくなってしまって、余計に作業が進まなくなるから、今から本腰を入れてとりかかねば。

11.02.2023

予期せぬ特別番組放送

深夜に急に特別番組が放送されたりするものですが、あれって毎週放送されるものではないのでテレビ情報誌やテレビ番組の隙間に放送される番宣などを見ることでもないと放送されることが分からないので困るものだ。

運良くテレビのチャンネルを回していたら放送中に見つけることができればまだいいのだけど、放送終了してから放送していたことを知ってもどうしようもなくなってしまう。

いっそのこと放送した事さえも知らない方がよかった、なんて思ったりすることもしばしば。知らない方が幸せなこともあるものだから。でも放送していたことを知ってしまった時の絶望感といったら。自分の運の無さを悔やんでしまう。

こんな時、マンガみたいにピョンと時間をまたぎ飛んで過去に戻りたいと思ってしまう。つまずき床を転んだ拍子に時間が戻り、戻った先で壁にぶつかって痛い思いをする程度で済むなら、是非ともタイムリープ能力を身につけたいものだ。

でも時間を跳躍する度に床を転がって痛い思いするのも辛そうだけど。タイムリープを商売にする企業みたいのがあれば楽に過去に連れて行ってもらえるので妥当なんですけどね。でも民間人が宇宙に行くだけでも何億も掛かるのに時間を飛び越えるとなると一体いくら掛かるだろう。

特別番組を放送するという番宣は、民放ならば結構頻繁に放送されるのでまだ目にする可能性は高いのですけれど、番宣がほとんどされない公共放送の特別番組になると、本当に特別番組を知る機会が少ないので大変な気がするなぁ。

公共放送専門の情報誌なんかも売られているそうですが、そこまでして知りたいと思う方は少ないだろうな。

そうなると情報を得る手段となると、SNSとなるのだろう。時代的に。

昔は友達などから教えてもらうといったごく一部の周囲程度しか情報を得る手段しかなかったんだけど、ネットワーク情報社会となった今ではSNSを通じて情報を得ることも容易となった。すごい時代になったと思う。

しかも教えてもらう対象が友達知人ではなく、全く身も知らぬ他人にからだし。

SNSといえば問題も多いけど、こういう助けられる分野も多いのがメリットでもある。要はメリットもデメリットも使う側次第である。でもスマホ持っていないのでSNSできないんだけれども。

11.01.2023

荷物を捨てること

よく一般的に『引越しする時は家の物を捨てるチャンス』だと言われます。

いわゆる引越しのための荷造り作業で、押し入れの奥に収納しっ放しで何年間も触ることさえしなかった放置荷物を出すことで、改めて必要か不必要かを判断するタイミングが生まれ、

そして大概は長年放置していた荷物なので不必要と判断して処分する機会になるからだ。

あと、引越しという人生の節目の出来事となることで、これまで不必要ではあったもののなんとなくなかなか捨てられなかった荷物を、この際だからと思い切って処分する決断を下せることができるとか、そういった理由から物が減らせるというもの。

そんなわけで引越しすることとなった私も荷物を減らせたことになったかというと、なななか減らすことはできなかった。世間の言うようなことにはなかなかうまくはいかないものです。

といってもやっぱり少なからず引越し効果はあって、段ボール何箱分もの荷物の処分とはいかなかったが、日常生活をしているなかではなかなかできない量の荷物を処分することができた。

特に主に処分できたものは本系だった。

普段なら『いらなくなった本だからといって捨てるなんてとんでもない!せっかく買い取ってくれる店があるのに売らなきゃ勿体ない!』なんて思うところなんだろうが、

引越し準備中の時だと『まだ置いておけば読むかもしれないけれど、この際だから思い切って捨ててしまうか?』と、残しておくか処分するかの二択だけの判断になって、売るという選択肢は出てくることはなかった。

あれだけ例え10円であっても売らないのは惜しいなんて考えだったのに、引越しという魔法は怖いものだ。

荷物を処分するといえば、よくバラエティー番組などで部屋の中が荷物で溢れかえる家へ物を処分するプロが赴き、見事なアイディアで物を捨てる決断を促して部屋をスッキリさせるといった特集が放送されたりするのもあったよなぁ。

その番組内で紹介される物を捨てるテクニックがとても役立ちそうなので是非とも参考にしたいところなんだけど、大概の荷物だらけの部屋っていうのは衣類関係。

部屋の床が見えなくなっているくらいに衣類が広がっていて小山になっている状態とか、そういうの程度のものばかりだ。

でも私の家で場所を取っている荷物のほとんどが玩具関係。テレビで見る、うんざりするような量の衣類なんて持っていないので全然参考なならなくて、いつも残念な思いになる。

そういえば捨てられずにいて積み上げられている大量の本やCDやBDを捨てたり片付けたりする、そんな特集はみられませんよね。それってもはや手の打ち様が無いってことなのかなぁ。

日本橋のイベントに行ってみたい

日本橋の電気街で開催される大規模イベントが開催されると、電気街にくる人の多さが尋常ではありません。

一般の道でコスプレして歩く人の姿なんて見れることはこのイベントぐらいなものなので、コスプレを見ることに興味がある私としては是非ともいってみたいと思っていても、

イベント開催場所の航空写真を見たら行くのを躊躇ってしまうほどの大混雑ぶりで、数年開催されているこのイベントに一回も行ったことはない。

それとこれまで一回も行ったことがない理由にはこの他にもあって、それはこのイベントが開催されることを事前に知ることができないからが大きい。

大概はイベントが開催された後に開催されていたことを知ることになってしまっている。

イベント開催後に多くのサイトでイベント状況の記事を公開したものを見てやっと知ることができるから。開催にもいろんなサイトで開催情報を上げているんだろうけど、全然見掛けることができません。

ちゃんとイベントの開催のことを覚えていれば、たとえ情報を知らなくても自分から調べたりするようなものなんだけど、1年に1回のイベントのことなんてなかなか覚えておけないのが現状。

いつもイベント開催終了後に知ってとても悔しがることを毎年繰り返してしまっている。もう人が多過ぎて行く気になかなかなれないなんて悩むこと以前の問題だ。

多くのコスプレイヤーが一般の道で集まるイベントなんて滅多にないのだから、絶対に外国人観光客がこのイベントを知れば多くの人がイベント会場の電気街に行って更にイベントが盛り上がるとこ間違いがなさそうだ。

それだけではなく、外国人観光客=土産を買う人ということで、周辺のお店なんかも客が増えて収益を上げることができ、イベント的にも電気街全体の収益的にも大きな活性化に繋がることは日本人ばかりのイベントとは比較にならないほどの成功をおさめることができる。

宣伝をもっとしっかりされれば、私もイベント行かずじまいになることも無くなり大助かりなんだけど。