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のどかな公園

この前、特に予定もなく時間があまりまくっていたので、なんとなく少し足を伸ばして遠出をして大きめの公園へ散歩に出掛けた。

その日は休日だったということもあり人が多く、手入れされた綺麗な芝生の上で子供達が走りまわったり転がったり跳ねたり、家族でお弁当をひろけだり、とてものどかな景色だった。

前日からほとんど眠っていなかった僕は、公園ののどかさや爽やかさの対極は恐らくこのような色だろうといえるほど悲惨な顔色をしていた。

こんなことなら遠出をしてまで散歩に出掛けずに、家で寝ていればよかったなぁと後悔もあったが、
家を出るときは寝不足にありがちなナチュラルハイ状態で、やけに元気だったので、これなら今日は寝なくてもいける!と思って出掛けてしまったのだ。

しかし公園の風景はそんな僕にとってものどかで心地が良かった。

僕も周囲の人達に習い、『気持ち良いなぁ』などと言いながら、芝生の上に座ってみたのだが、綺麗に刈られた芝の先に肌を刺されて意外なほど痛かった。

あまりに痛かったので驚き、思わず立ち上がってしまい、周囲を見渡してみたが、やはり芝生の上で子供達が走りまわったり転がったり跳ねたり、家族でお弁当をひろけだりしていた。

とてもチクチクして肌が痛かったがせっかくの爽やかな気分を壊すのも嫌だったので芝生が痛いという感想は気にしないことにしようかと思った。

だけど、ふと、周りを見てここにいる笑顔の人達、子供も含めて全員がこののどかな雰囲気を壊さないように、少しずつ自分に嘘をついて芝生が痛くないというふりをしていたとしたら恐ろしいなと思った。

そんなことも思いつつも結局芝生のチクチクに耐えられず、立ち上がって芝生から出て公園をブラブラすることにした。たとえ芝生に座っていなくても、公園のこの光景はとても僕を癒してくれるからだ。

その後しばらく歩いてから公園を出て、お腹も空いてきたので「うどん」を食べようかと街の方へと移動して商店街の道を歩いていると、視界の端の方で「おうどん」と書かれた看板が見えたような気がして、

立ち止まりその看板の方へ顔を向けると、「おうどん」ではなく、「あうん」と書いてあり、うどんとは何の関係もなかった。

「うどん」屋は偽物だったが、どうやら公園ののどかな風景は僕の心ものどかにさせたようで、公園のあののどかさだけは本物だったんだと安心できた瞬間でもあった。でもやっぱりあの芝生の上に座れそうにもない。

台風の午前

冬なのに夏の話なのだけれど、台風情報が結構出てきた時。

台風が近付いているということを聞いて、台風が上陸したある日のことをふいに思い出していた。

その日は駅前にいた。二十四時を過ぎた辺りから雨が降り出し、ようやく上がった時には午前三時をまわっていた。

雨が降り出した直後の駅前は右往左往と豪雨から逃れる人々の慌てる姿が目に入り居心地が悪く緊張した。

商店街のアーケードの下で雨宿りをする人。心細げにビニール傘を頭上にさし駆け出してみたが横殴りの雨にいてこまされている人。知らない人と一緒に深夜まで営業している店に駆け込む人。

駅前で雨宿りしていても台風なので雨がやむ気配を感じれず、商店街の入り口付近の店に入り本を読みながら雨が過ぎるのを待った。

午前三時に雨が上がったので店を出て散歩に出かけた。散歩をする時間がしばらくなく、ようやくと思えば雨で鬱屈とした精神状態が続いていたので、自由に歩ける喜びと解放感から僕は有頂天になっていた。

幸いなことに午前三時という曖昧な時刻と雨が上がった直後という曖昧な天気のため往来に人影はなく誰の目も気にすることなく僕は浮かれながら歩くことができた。小学校の遠足ならば確実に引率の先生に叱られるような歩き方だ。

両手とも指でわっかを作っていたし、脇も少し開きしめていなかったし、ニ歩と同じ歩幅では歩かなかったし、坂道は後ろ向きでのぼったりした。補足すると、これは幼い頃に僕が編み出した坂道を疲れずのぼる必殺技だ。

そんな浮かれた歩行を続けていると、いつの間にか前方から坊主頭の若い男性が歩いて来た。僕は一瞬で弛緩していた筋肉に緊張感を取り戻し、私は普通です、というふりをした。

すると、すれ違った瞬間に男性が突然僕に声を掛け『おはようございます』と丁寧に挨拶をされた。以前知人と飲みに行った時に知人が連れて来た後輩だった。やってもうたと思ったが今さら後悔しても後の祭りだ。

変な歩き方は見られただろうか?何とか上手く取り繕わなければと焦ったが、妙案は思い浮かばなかった。

『わざわざ挨拶してくれてありがとうございます。嬉しかったです。また知人と一緒に飲みにいきましょう。失礼します。』

そのように普段なら絶対に言わないようなセリフを口にして、その場を足速に去った。一人になると激しく後悔した。挨拶だけでいいものを焦ってしまい変に長く余計なことを喋り過ぎた。

先程まで踊っていた心を落ち着けて冷静に考えると、はなっから雨は上がってなどおらず終始小雨がぱらぱらと降っていた。上着が湿っているのにも気付かされた。

恥じらいが更なる恥じらいを生むことも多々ある。恥じらいとは非常に有益な感情だと手放しには言い難いと思った。そんなことより、台風はいつ日本を離れるのだろうか。

そんな日の事を思い出した冬の日

口調/知人の行方/季節の流れ

  ・口調

人生の大半を無表情で過ごして来たためか僕は顔の筋肉が固いのだけど、朝は顔の筋肉がほぐれていないので尚更表情が固く表面にノリを塗っているようだ。

朝は言葉も真直ぐに出て来ないので一人で顔の体操をしたりする。知人と二人並んで顔の体操をしていたら気持ち悪いから一人で行うのは当然だ。

それにしても、昨日友達と喋っていたとき、夜だったので顔の筋肉も一日で最も軟らかい状態であったにもかかわらず、『かないませんね』と発するべき言葉を、かんでしまい、

『かないまへんね』となぜか浪花の商人みたいに言ってしまいました。

そのような粋な霊が僕に憑いているのでしょうか。季節が冬だというのに冗談のつもりでかいたけど冗談に思えなくなってきてちょっとひや汗をかいた。

  ・知人の行方

『息子を捜して欲しいんやけど』とある知人の母親から連絡があり、『全力で捜します』と答えたのが数ヶ月まえで、色々と手を尽くしたが結局見つからず、

男だから少々音信不通になったからって心配することあらへんと思っていいた気持ちが、ちょと心配になってきた。

そしたら、その友達から留守電が入っていて、『冬のあいだ、海外に出ていま〜す!遊びに来てな〜』という元気な声だった。

良かったけど。そして友達と遊ぶためだけで海外になんて行けないけど。

そのようなテンションで来られたら、『心配しててんぞ』と怒りにくい。どうしよう。海外には行きたいけども行けないけど。

  ・季節の流れ

今日は知人と合流して電車を乗り継いで目的の駅へと向かった。

今日は普段以上に上手く乗り継げたと思う。

今日の外は昨日と比べても暖かい感じがする気温だった。最近寒い日が続いていたのでちょうど良かった。

あと何日か経てば寒い夜も終わりが来るだろう。だけどその夜きっと僕はまだ長袖なのだろう。

それから更に数日が過ぎると長袖を着ていては暑い夜が来るだろう。その夜きっと僕は薄い生地の長袖を着ているから、結局ちょうど良いだろう。

しかし、やがて薄い生地の長袖を着たところで、どうしようもないほど暑い夜が来るだろう。そんな夜僕はエアコンをつけているから、あまり関係ないだろう。

エアコンで冷え切った部屋の中で寒すぎる僕は敢えて暑い夜の中に飛び込んで行くだろう。そんな夜は暑ければ暑いほど、ちょうど良いだろう。

これまでの流れとは全く関係ないが、やかましくない色のママチャリをこぎたいと二ヵ月くらい思ってる。

輪ゴム拳銃

輪ゴムで遊びながら商店街を歩いていると、僕の前を歩く男の傘が、前から歩いて来た四十代くらいの女性の頭に当たった。

すると女性は露骨に嫌な表情を浮かべて振り返り、何も気付かずに行ってしまった男の方に向かって歩き出した。

女性は男に苦情を言いに行くのだろうと思い見ていると、女性はそのままの足で迷わず電気屋に入って行き、電池コーナーを物色しだした。えっ、これってどういうことだろう?

腹が立って振り返った瞬間に探していた電気屋が見つかったのだろうか?それだけのことによってさっきまでの腹立たしい感情も消えたのといんだろうか?沸き上がって来た感情は何処で処理をするのだろう。

さっきまで怒っていたのに、もう女性は電池を手に取り二個入りにするか四個入りのパックにするか思案している。

なんでもないといった感じで電池を物色する女性のその姿はとても不思議だ。電池を食うと怒りを消化できる人なのだろうか。

そんなことを考えながら歩いていると僕を追い越して行く人の傘から飛び出した骨の先端に付いているキャップが僕の真ん中で分けた髪のセンターラインを優しくなぞって行き瞬間的に体温が低下したような感覚になり、なんか情けなかった。

その時には輪ゴムでの拳銃の作り方を手が思い出していて、いつでも発砲できたが、もちろんそんなことはしない。そんなことをしたら馬鹿だと思われるからだ。そんなことをして実際に誰かに当たったら怖いし怒られるからだ。

それに独りで居る時に思い付いたことを、そのまま誰かに持って行って関わろうとすると大概は上手く行かず変な感じになるからだ。

僕は輪ゴムの拳銃を空に向かって、撃たない。

なぜなら、それはなんか古いからだ。そしてなんかキツいからだ。そして、なんか悪寒を感じてしまう行為だからだ。

そんな気分が沸き上がってきた僕は、逆の手のひらに撃とうかなと思った。それが一番自然に思えたからだ。

だが、結局はどこにも撃たなかった。撃たずに指から外した輪ゴムをズボンのポケットにしまい込んだ。そんなことを言い出したら本当にきりがない。

自然に振る舞おうと意識するのは凄く不自然だ。書くこと自体も不自然だ。色んな事のやり方を忘れてしまった感覚に陥ってしまった。

群れてくる/子供のすること/麦わら帽子

  ・群れてくる

ベンチに座ると一斉に鳩が僕の足下に集まって来た。

なぜ鳩達は僕を餌をあげるタイプの人間だと判断したのだろう。他にもベンチは三つあって、その全てに人が座っている。

なぜ、よりよって僕の所に集まって来たのか。早くも僕は公園で注目を浴びている。

鳩に餌をやるのは老人が多い。老人の回りに鳩が群がる光景をよく眼にする。「あの老人喰われるんじゃねぇか」と見ていて怖くなる時すらある。

老人が着ている服は灰色や茶色が多い。その色は鳩に近いから鳩達も親近感を持ちやすいのかもしれない。たまに首もとに紫色のスカーフを巻いている老婆がいるが、鳩もよく見ると老婆と同じように首もとに紫色のスカーフを巻いている。ますます鳩と老人はファッションセンスが似ているのだ。

他のベンチを見渡すと、他の人達は服装が若い。だから、体格も服装の雰囲気も比較的老人に近い僕が鳩達に選ばれてしまったのだろうか。

近付いて来た鳩は排気ガスで汚れた酷い色だった。が、僕が着ているジャケットは驚くほど汚ない鳩に似ていた。

僕と僕の回りに群がった鳩は、遠くから見ると巨大な一羽の鳩に見えるだろう。遠くから見ると僕は鳩に半分以上喰われているだろう。

  ・子供のすること

少し雨が降っていた日のことでした。影絵の手を作り壁を凝視している子供がいました。

でも陽がさしていないので壁には何もうつっていませんでした。何もうつっていませんでしたが、子供は指をひらひらさせてました。

恐らく、ちょうちょです。もしかしたら、大きめの蛾かもしれません。

子供が去ったあとに陽がさし、時間差でちょうちょがうつるなんてことはないのでしょうか。

  ・麦わら帽子

オープンカーの後部座席で婦人が麦わら帽子をかぶっていた。

随分勇気があるなと思った。

オープンカーで麦わら帽子をかぶっていたら、普通なら風で飛ばされる。

あそこまで頭に帽子がフィットするのはおかしい。

帽子で隠れている婦人の頭。耳の上が膨らんでいてそこにひっかかるようになっているのかもしれない。

格好良かった。あれで日傘させたら完璧な貴婦人だ。

傘はさすがに骨裏返ってバサッ、バサバサバサバサ、右手ウーン、ってなるやろうけど。

チラシ

メガネ屋のチラシを貰っても困るものがある。

街中で無差別に配ると、半分程は完全に無駄なものになってしまうチラシの一つだと以前から思っていた。

例えば鰻屋のチラシを貰えば、その時に腹が減っておらず、鰻など全く食う気がしないと思っていても、『鰻屋がそこにある』と記憶が上書きされるので、いつか腹は減っているが何を食べれば良いか解らず途方に暮れている時に『鰻』という選択肢が出来るので効果はある。

しかし、メガネ屋のチラシを貰っても、視力が良い人間にとってはメガネをかけている家族や友達の付き添いのほかに行くことが無い。

すると折角のカラー印刷されたチラシが無駄になってしまう。チラシを受け取る所作も無駄になってしまう。全く同じ動きでハガキをポストに投函することも出来るし、ヤギに餌をあげることも出来る。

しかし、メガネをかけている人やコンタクトレンズを使用している人からすれば有効なチラシであることは間違ない。

そして、コンタクトレンズがある限りメガネをかけている人だけに限定してチラシを配るというわけにも行かないのだ。

だから僕はメガネ屋のチラシを配っている人を見つけたら、大分手前から『眼が良いような顔』で歩くのだが、やはりそんな顔は自分の気持ちだけの問題であり、『眼が良さそうな顔』の規範が世間に流布していない限り、僕が考案した『眼が良さそうな顔』を、相手が『チラシを異常に欲しがっている顔』と捉えても仕方がないのだ。

しかしそういったシチュエーションは滅多に起きない。ティッシュ配りなら頻繁に出会うものだが、メガネ屋のチラシはそうそうない。コンタクト屋のチラシでもそんなにないのだから。

しかし、そんな滅多にないシチュエーションが、いま目の前に起きていた。そして案の定チラシは差し出される。

意味が無いし無駄になるから受け取らないのだが、この相手からの干渉を一方的に遮断するという行為を実行するにあたって自分の感情が微塵も動かないかというと、そんなことは無く少量ではあるが確かに罪悪感が生じる。

前方でメガネ屋のチラシを配っている男の人と眼が合った。僕は咄嗟に『眼が良さそうな顔』を作った。

チラシを配る男の人が意味ありげに深く頷いた。僕の渾身の『眼が良さそうな顔』が伝わったのだろうか?

チラシを配る男の人の横を通ると、やはりチラシを渡された。全然伝わって無かった。よくよく考えると今日はメガネをかけていた。

メガネ屋のチラシを配っている人からすれば、『来た!来た!来た!来た!来た!来た!来た!来た!』と思ったことだろう。

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