河原町行き急行に乗った。僕の隣りにおばさんが座った。おばさんは、僕が動くたびにビクビクと鶏のように首を動かしていた。どうやら僕に怯えていたようだ。
僕が座る前に、そこの席に座っていた人間がコーヒーの空き缶を座席下の死角に立てていた。それが僕の足下に転がってきて鬱陶しかった。 ようやく離れたかと安心しても電車がカーブを描くと空き缶は再び僕の足下に戻ってきた。
僕は隣りのおばさんに恐怖感を与えないように、ずっと窓の外を眺めていたが全神経は空き缶に刺激される足下に集中していた。
電車が、それまでとは逆に傾いた時カラカラと音をたてて空き缶がおばさんの方へ転がって行った。
おばさんが、その空き缶を僕が飲み干したものだと思ったらどうしよう?と不安になったが、だからと言って僕に出来ることは何も思いあたらなかった。 するとおばさんは、その空き缶を手で拾い、そして立てた。
少しだけ僕の心の中で罪悪感が生まれた。 おばさんに謝るのは少し違うだろうし、『ひどい人がいますね』と話しかけるのも違うような気がした。
だけど空き缶が僕の足下にしばらく住み着いたせいであの空き缶と僕は、いつの間にか同じ色になっていた。
他の乗客からすればあの空き缶は僕のものであるに違いなかった。気まずい思いのまま河原町に着いた。
ぶらぶら散歩しながら清水寺まで歩いた。清水寺をお参りするのは久しぶりだった。
入場券がしおりのようになっていて季節ごとに4種類ある。以前貰ったのは春と春で、今回は冬だった。
しばらく音羽の滝の音を聴きながら不動明王様を見上げていた。すると目の前を行くおばさんと、リュックを背負ったおじさんが僕に背中を向けて立った。 せっかく不動明王様を見ていたのに邪魔だなと思った。
その時、突然おじさんの方が物凄く卑猥なことを言い出した。おばさんの方は、『もぉ〜』などと言ってまんざらでもない様子だった。 すごく気分が悪くなったので再び歩いた。
清水の舞台を下から眺めた。『下から見るとやっぱり高いなぁ』と思った。10年程前も全く同じ感想を持ったことを思い出した。
帰り道、清水寺の門前に構える店で清水焼きの珈琲カップを買った。東京で自分専用の珈琲カップを探しまわっていたが見つからずにいたのでとても嬉しい。
カップの底が三角形だが飲み口は円形という変わった形だ。 カップには赤と白の椿が描かれていて、カップをのせる皿には白い椿が描かれている。
僕の家賃の三分の一程の値段がしたが今は家に帰って椿の絵を見るだけで幸せだ。