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人生の髪型

髪の毛を切りに古い友達が働く美容院に行った。

美容院の扉を開けると旧友が僕を見るなり、傷だらけで道端に倒れていた旅人を家まで運び慌てて介抱するようなテンションで椅子に座らせた。

僕は鏡に映る自分を見ながら自嘲気味に笑うことしか出来ず己の髪の毛の行方を静かに見守った。

手際良く、作業をする友達。実のところ僕は、今の髪型が結構気に入っていた。時々人に笑われたりもしたけど、何か好きだった。

そういえば中学時代の僕は、古着屋で得体の知れないクレイジーなガラシャツを買って来て家族に笑われたり、自転車に鏡を付けて昭和40年代風に改造してお巡りさんに止められまくったり、チューリップハットの復活を企んだり、真夏でも学生服の第一ボタンをしっかりと止めたりと常に自分なりの美学を追求していた。

先日、実家で発見した中学時代友達と共に写っている写真では、皆はジーンズに古着のアディダスのジャージとオシャレな組み合わせだが、僕はオッサンのようなグレーのスラックスにピカピカの革靴、そして蛇ガラのタイトなシャツを着ていて、どう考えても中学生には見えないふざけた格好で、もちろん特に人から褒められることなどは無かったが、あの頃の僕は時代や流行りなど一切気にせず全て自分の好きなものだけを選択して生きていた。

更にさかのぼって小学生の僕でさえ、2年生の頃には皆が登下校の際にかぶる黄色い帽子の後ろに必ずマジックで当時格好良いと思っていたマークを描いていた。

5年生くらいになると、目立つのが徐々に嫌になって来て、何故か年上の6年生や中学生から目を付けられるのが面倒臭かったのもあり、マークを描くのも止めたのだけれど、基本的に暴力がとても怖いので。僕は暴力には抗うことが出来ず従順なのだ。

とは言うものの、まだ自分というものを大切にしていたような気がする。

うってかわって、高校時代は、『どれだけ目立たず過ごせるか』とか、『極めて普通であることがカッコいい』などという僕の中での新機軸と呼べる感覚が誕生した時期だった。

そのため今だに僕の中では、『自分の好きなもの』と、『一般的で目立たないもの』という相反した2大勢力が常に精神内部でぶつかり合い終わること無き葛藤を繰り広げている。

今回の髪型にしてもそうだ。

自分は何故か気に入っていたが、初めて僕の髪型を見る人は、『俺変わってますよアピールしている人』と認識するか、『ただのウケ狙い』と認識するか、『美的感覚のずれている人』と認識するか、いずれにせよ中々インパクトの強い髪型で必ず何かしらのメッセージを他者に発してしまうことは自分でも解っているので恥ずかしいという気持ちも少しある。

昔、『自分の好きな女性が他の人から見たら凄くブサイクで自分だけしかその美しさに気付かなければ良いのになぁ』などと思ったことがあったが、それが湾曲した感覚で、『この個性的な髪型が皆から見たら全然普通の目立たない髪型だったらなぁ』というような思いに近い。

『でも、まぁ、そこまで拘泥する問題でもなくて、又別の髪型にするか、いっそのこと坊主にするか、俺将来ハゲんのかな?』などと一人で考えていると、僕の髪を切る友達に、

『そういえば、何年も前に「カッコ良いから、思っていた髪型にしてみたい」とか言ってたけど本当にしたね』と言われ、そうなんだ・・・と理解者を自分の歴史の中に発見出来て嬉しかった。

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