・相撲の座布団
横綱を倒したり、素晴らしい勝負だった時に座布団が土俵へ投込まれる映像は子供の頃から幾度となく目にしてきた。
座布団が画面いっぱいに舞う光景はどちらかと言うと清々しく気持ちの良いもので特別に恐ろしく感じたことは今まではなかった。
しかし、昨年からの様々な報道により国民全体の大まかな朝青龍像は、ある程度固定されてきた。
そんな予備知識を持った上で、朝青龍が敗れた直後に観客が笑顔で座布団を土俵に投込む風景は僕の目には異様にうつる。
物語が出来てしまっているので感情も乗せやすいのだろうが、鍛え抜かれた大きな身体全身に汗をかき、時には数秒間の刹那に全てをかけ戦う力士に、敗れた横綱に、座布団を投げる様は恐ろしい。
勝利した力士を称える座布団と考えるのが普通だろうが、その座布団がもう一つ別の意味を持っているのは明白だ。
座布団を投げている者の中には、もう何年も汗をかいていない人間もいるだろう。
正直なところ恐ろしさと同時に物凄く面白くもあるから、今後も投込み続けていただきたいのだが、個人的にはあの座布団は重過ぎて僕には投げることは出来ないだろうと思う。
たとえ面白くても、あらゆる観点から表現が規制されてしまう現代において、結構な内容であるにもかかわらず『かい潜ってるなぁ』と感心もさせられる。
・買った携帯電話
携帯電話を新しく購入した。
スマホではなく携帯電話。ガラゲータイプだ。未だスマホには馴染めないでいる。
恐らくこの携帯電話も僕に買われたがために実力の30%も発揮出来ないまま壊れて行くのだろう。
つい最近まで使用していた携帯電話が残酷と思えるほど凄まじい壊れ方をしたためか、お店の人は戦場に持って行っても使えそうな丈夫なタイプのものばかりすすめてきた。
結局携帯の裏側がステンレス素材という見るからに頑丈な携帯電話を購入した。
それから、しばらく使っているのだが、この携帯電話は開くと画面の上の方に小さなカレンダーが出る。
今朝気付いたのだが、そのカレンダーの横に無数のピンク色のハートマークが浮かび上がって大変気持ちが悪い。
仕事上の、『お疲れ様です。了解です。』という無機質なメールを送信しているにもかかわらず画面にピンク色のハートが浮かび上がるため、「密かに想いを寄せているが、その気持ちを伝える事はまだ出来ない。
そんな相手に対するもどかしいメールなのでは?」と強烈なピンクのハートの視覚的主張によって自分の中でありもしない意識を捏造されてしまう。
このままでは困るので、あれこれ触り、何とかハートマークを消そうと努力したが全然ピンクのハートは消えてくれない。まぁ自分が我慢すればすむことだと思い堪えた。
そして先程携帯電話を開いたがハートマークが出ていない。あれは、『ホワイトデーですよ』ということだったのかもしれない。
充電器差し込み口からトナカイの鼻が飛び出すのではないか?と今からクリスマスが怖い。