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プラモデル作成中に訪れる恐怖

接続補助ユニットを挟み忘れていた。

これがどれほどの恐怖なのか、接着剤不要のプラモデルを組み立てた経験のある方はぜひ説明書のレッスン1から始めて、そしてレッスン5あたりまでいった時に挟み忘れに気付いたといった想定を想像してほしい。非常によく御理解していただけることと思う。

非接着剤のプラモデルははめ込んだら外れない様にするために、接着剤で接着するタイプに比べてガッチガチに組み合わされるから、一度はめ込んだらもう外せなくなってしまうのである。接着剤を使用するプラモデルなら逆に上手くいきやすいものなのだが。

昔からこういう、パーツとパーツのまげ伸ばしを組み換えパーツで行われるキットだと、自分裁決でよりお得なほうを選んでデフォとする貧乏&面倒くさがりで、それが災いとなって、とうぜんのことながら我が家のそのプラモは挟み忘れたままのびっぱなし状態だ。

このプラモデルを設計された人は、せっかく見事に見栄えが映えるようなフォルムに完成させようと試行錯誤で考えたと思うのに、そんな苦労を蹴り飛ばすかのように、こんな失敗な状態を放置させたまま完成させてしまって申し訳なく思う・・・

しかしこの状態から位置を変えてみれば、シルエット的カッコよさが何割か増になった気がする。実にだらしないパイロットが乗っているといえますが問題はわずかだ

それにしても製作したプラモデルは1000円で買えるというのに、このプラモデルを運ぶ為の車両、いわゆるサブアイテム的な役割のもののプラモデルが何千円もするとは不思議現象じゃないだろうか。

その車両はこのプラモデルのためだけにあるようなプラモデルなので、2つをセット1500円…とかでもよかったのでは?

最近のプラモデルの最大の弱点は、完成度が高すぎて1コで満足してしまう事。

毎年成形色のマイナーチェンジをしてくれるだけでも、また組み立てるいい口実になるのだが、そういうのはやはりマイナー意見なんだろうか。

それにしても、最近の赤はいい色がでている。なかなかプラモ的にも新鮮でいい。プラモデル素材に食傷ぎみの人にはお勧めなんじゃないだろうか。

似顔絵を描く子供とプラモデルを作る大人

母の日や父の日などの時に街を歩けば、店先に幾つもの児童の描いた母や父の似顔絵が貼り出される光景をよく見かける。

そういったイベントのある時にだけ似顔絵を募集して貼り出されているのかといえばそれだけではなく、同一テーマのアニメ作品のキャラクターのイラストを描かれたものも貼り出されていたりするのもよく見かける。

やはり純粋な子供の直筆の文字やストレートなイメージから描かれるイラストは、溢れる独創的なものに加えて、あたたかみも感じさせられるものがある、と思う。親の似顔絵の時とはまた違った印象を感じさせられる。

昔は子供なのにすごく上手なイラストにまず目がいっていたものだけど、最近は全面蛍光ペンで塗りつくしてあったり、角が丸く切ってあったり文章やイラスト以外の自己主張表現があって、
それが描く子供毎に全く異なる表現がなされていて、見ていてとても楽しかったりするのだ。

私の子供時代のときも、こんなふうな似顔絵を描いて貼り出されたことがあったかも、と思ったりもする。なにぶん子供時代のことなので全く記憶はないんだけでども。

ただ、2,300円台のプラモデルを複数点作って、段ボールの台に絵の具で色を塗ってジオラマを作成して、近所のおもちゃ屋さんに出して店先に飾ってもらったことはあった。子供時代でもプラモデル大好きって、全然成長していないなぁ。

プラモデルといえば、人生の生活の切れ目にプラモデルを2つほど作った。どちらも特徴のある象徴的形をしているので、現時点での両タイプ最新クラフティング解釈を知る事が出来る興味深いキットなのである。

そのうちのひとつはひさびさにノーストレスで作る事が出来た。ビスの配置、無駄なポリの仕込みなども無くなってスタンダードを極めた作りのように思えた。欲は、とある箇所の変形?的なギミックを仕込んで欲しかった。

あとひとつの方は出来上がりやトータル満足なのですが不思議とひっかかる要素が多かった。ビーズ式パイプの組み立てやっぱきつい。パーツとパーツの接続が不安だ。完成しても万が一ここがはずれたら散らばっていまう。

なぜか一部パーツ限定のアンダーゲートは御愛嬌か。2種類の造型にかなりのギャップが否めないといった感じがある。

このプラモデル、以前に発売されていたもののバージョンアップ版なのだけでど、随分と印象が違う気がする。やっぱり機構はちゃくちゃくと進化を遂げているのだ。

イラスト描きと鉛筆

まったくの趣味で気が向いた時にラクガキという名のイラストを描いていたりするのですが、つい最近、画材革命が起りました。多分、私の記憶のなかでは十数年ぶりのことだ。

イラストはペン等で紙に実際に描いていく手法と、パソコン上で描いていく(いわゆるペンタブ7)といった2種類の方法がありますが、私は紙に描いていく派。

その手法でイラストを描いていく場合、大まかに分けるとエ鉛筆等による大まかなアタリを描き、それを軸にイラストの元となる下書きを描いてゆく。

そしてその下書きにペン等で描いていき、最後に鉛筆で描いた下書きの線を消して、とりあえず完成となる。

まぁ、もっとイラスト技術を持っている人ならば更に色塗りしたりしていくのだけれども、技術の無い私はこれぐらいのことまでしかできません。あくまで個人で楽しむ趣味レベルだから。

そしてこのイラスト、長年シャープペン下書きを描いていたのを、なんの気なしに鉛筆に変えてみたの。そしたらまあ、なんという素晴らしさ!
今まで何でシャープペンを使っていたのだろう、いやそんなこと考えた事も無いくらい人生の盲点になった。

確か小学生の頃みるみるシャープペンというものが一気に普及し始めてそのシャレた感じと一定のクールな線でいつまでも楽書きできる魅力に取り付かれたのが最初だった。

そんで高校の時、鉛筆デッサンをオエってなるくらい描く事になったとき何年ぶりかに鉛筆を再び使う事になったのだけど、先生に「必ず、刃物で尖らすように」という教えでこれまたオエってなる程鉛筆を削ってほとほと嫌気がさし、隠れてはシャープペンを使ったりしてたものだった。鉛筆特有のあの泥臭いタッチが許せなくて(笑)。

あと細っそい線を描きたいと思った時、思った都度鉛筆の先を尖らせる必要があるために鉛筆を削る必要があり、そうなると刃物でチマチマ削るという手間が必要となってしまうから。

・・・しかし今思えば泥臭いタッチ、鉛を焼きつける魂の線、かっこいいじゃーありませんか!カチカチやるより全然能率的です。なによりにおいがたまりません!

なんとまあ、子供の感覚のままで、何の疑う事無くいままで来てしまっていたのだ。正確には、感覚は変わっていた癖に、頼りにする誇らしく所持していた剣はペコペコバットのままだった・・・といったところだろうか。

めんどくさかった鉛筆削りも、よくよく考えれば自動削り機を買ってくればいいのでは・・・と、ほんと今の今まで気がつかなかった。
ときどき鉛筆を使ってた時も、芯が短くなる度にナイフで削っていたよ・・・

「自動鉛筆削りは高くて買えない」という小学校の頃の心のすり込みと、師の教えの合わせ技で思考のエア・ポケットになっていた!さすがに愕然となった。

シャープペンを悪くいうつもりはないんですけど、実際指がすごく楽になりました。趣味で気が向いた時に描く程度なので、中指にサポーターを巻かないと筆が持てないとか、
そんなかっこいい職業病になったことは無いのだけれど、これを機に鉛筆でのイラスト描きにのめり込みそうだ。

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