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懐かしい本

本棚というと良さげな響きに聞こえるのもおこがましいくらいの、ただ無造作に本がつっこまれた状態の無惨棚を気まぐれで整理していたら、懐かしい本が出てきた。

それは家庭用ゲーム機で出たゲームを題材としたコミックで連載終了されているもの。この本を書いた漫画家さんがブログで述べていた所感が今も記憶に残っている。

このコミックが連載されていた雑誌で過去にも別の作品で連載されていたものが終了した後、雑誌の担当から「少年マンガを描いてほしい!」ということでこのコミックの連載がスタートしたのが経緯とのことだった。

別の作品が心残りな状態で終了させてしまったこともあって自信も無く、随分悩んだすえに再チャレンジを決心したんだそうだ。残念ながら十分な力になる事ができず自分の未熟さを痛感したと語っていたのだけど、

よい終わり方をしたんじゃないかと思っていた。なかなか作者の本意と読者の所感は一致しないものだ。

あと、この作品はその題材となったゲームのサブアイテム的な位置付けとしてコンパクトな巻数にしようとは当初から考えていたそうで、コミック、ゲーム1、コミック、ゲーム2、コミックという構成を基本に、それぞれ作品テーマとゲームガジェットをちりばめていく、というコンセプトだったそうだ。

そのコンセプト通りになったのか分からないが、コンパクトな巻数で終了したこのコミック、少年マンガ的なものとして連載雑誌の看板になるくらい十分に支持を得られたらここより先に+アルファの展開をやりましょう!という打ち合わせを初期の頃にしていたと知って、そうなんだと思ったことも思い出した。

最後の展開が駆け込みがちになってしまった感はちょっと感じていたそうだが、なんだかネガティブな感じだけど、このコミックはびっくりするくらい売れるということはないけど、じわじわっと売れ続けていると聞いたときは、支持はしっかりとあったんだなと安心したそうだ。

末永く売れる本になってほしいな、と自分のできるすべてを込めて描いていたそうだ。

このコミックを描かれた漫画家は今も別の雑誌で連載していて、看板作品となったこともあって、漫画描いていてよかったなぁ、と他人事ながら嬉しく思うところだ。

詰みゲー

前の記事でプレイ中にフリーズしたといったゲームだけど、あれは前作のあるシリーズもののゲームで、前作と比較していたるところに前作からのチューンアップをみる事ができるのが印象的だった。

アクション全般がよりストレス薄く調整されていたり、ダンジョン難易度の見直しや謎、戦闘、目的のバランスが物凄くよく練り込まれているように思えた。

単体で練り込んだ良作という声も多かった前作のさらにどこに欠点があったのか、事細かくピックアップしていったものを順番に改善していったような現場の雰囲気が伝わってきた感覚があった。

しかし、もうどうしようもないのだけど「視点が迷う」という悩みはもう、一生つきまとうのだろうなぁ、としみじみ思っていた。

その点についても、このゲームは視点を変える時に前作より見やすさを考慮されていたり、実際に目線を移動するさいの感覚再現や、できるだけ負担のかからない背景モデリングなど、配慮は抜かりなく感じて驚かされた。

今回の出てきたアイテムなどは実は視界不良の欠点を補う発想からきているのではないかと思ったりもした。

このゲーム3Dアクションゲームなんだけど、3Dアクションゲーム最大の欠点は操作に3軸を要求してしまうことだと思う。

人が楽しく操作できるのはおそらく2軸までで、その点このゲームで見受けられた各種アイディアは高低差を落ちる落ちないの操作をする際に、一時的に2軸制御を可能にしているように見えた。

おかげでグっと3Dアクションが容易になっていると感じられた。なんだか矛盾してるような気がしてしかたない感じもするんだけど。

そう感じると今遊んでいるゲームの操作は何軸要求されているものか意識してみると興味深いし新たな発見が見つけられてより一層楽しくなるかもしれない。

意外とリアル3D空間とみせかけて、トップビュー操作と変わりのないゲームが多かったりする。見てくれとゲーム性の両立を迫られる最近のゲームの難儀さなんかも伝わってくるようだ

久しぶりにプレイしてみたけど、なかなかどうして結構面白くてつい夢中になってしまった。

なぜこんなゲームを途中で投げ出して詰みゲーにしたのかと思うばかりだった。でもよくよく考えていたら、このゲームを買ったあのころはすぐに色々なゲームを買っていたから、すぐに他のゲームに目移りしていただけなのかもしれない。

いま持っているゲーム機は今や時代遅れの旧式となっていて新作ゲームがでないこともあって、だからゲームを買わなくなったので、その結果詰みゲーに振り向くことができたのかもしれない。

いっぱいゲームがでるというのも、しっかり買う買わないを判別出来ない私にとっては贅沢な良し悪しだったのかもねー。

予想外の苦労

今日は途中で投げ出して積んでいたゲームをやったのだが、ちょうどよいところでフリーズしてしまう、噓のようなことが発生した。

昭和のゲームならフリーズなんてしょっちゅう起きた惨事だけど、といってもソフト面的不具合ではなく主に興奮し過ぎてコントローラーを振り回してコードに引っ張られて本体が暴れたりとか、興奮し過ぎて本体を蹴っ飛ばしたといったハード面的障害だけど)、

まさかこのご時世にゲームがフリーズするとは思わなかった。。フリーズする時にディスクから聞き慣れぬ音が聞こえたので、たぶん読み込み不良が発生したのかもしれない。

ちょうどよいところというのは、まさにセーブしようと思っていた矢先だった。

久しぶりにフリーズを経験した事にショックを受けてゲームを続けるのをやめてしまった。急遽一人プラモデル大会に切り替えた。

少し疲れていたがこの気分を一蹴すべくボリュームのあるプラモデル作成に取り掛かったのだが、想像以上のボリュームだった。おかげで長時間作成に費やしてしまい予期せぬ疲れに。

箱を明けた時引下がればよかったのだが、ついつい燃えてしまった。

自分のがたまたまだったのかもしれないのだが、ビス止め部分がことごとくユルユルで、ちょっと大きめのパーツを浮かせるように取り付ける構造がビス1本といった部分も、結局指定のビスでは固定できず、あまった長めのビスを貫通させるまで差し込む事で固定することに。

それから、おそらく作成したプラモデルの派生バージョン用のギミックがあちこちにあったのだが、これらは完成してもまったく意味をなさないのにものすごい労力を割かれて、空しさもひとしおだった。

それと組み立て説明書の分かりづらさがあった。ねりこむ時間がなかったのだろか。プラモデルは製品そのものは相当進化しているが、説明書にはいささか弱さを感じる。

実はこのプラモデルは見た目のかっこよさで買ったものだったので、どういうものかくわしくないのだけれども同期に発表された他プラモデルをみていると、この時期リアルメカのかっこよさに現代のソリッド感やスタイリッシュなシステム概念などを取り込んで、より洗練されたデザインになっていったように思った。

一昔まえのものはもっとドロ臭いというか意匠感があったと思う。いよいよもってこの世のありとあらゆるデザインのかっこよさを投入して固めていったもののようだ。

新しいパソコンに潜む罠

知人が新しいパソコンを購入したそうで、そのことで聞いてほしいことがあると言われたので聞くと「早速ドット欠け発見してしまった」とのこと。まだドット欠けというものがあるとは思いもしなかった。

昔、パソコンを購入して、別に探していたわけじゃないのに液晶の一角にポッツリ1ポイントの欠けを発見しすこぶる憂鬱になったりしたものだ。

しかしドット欠がこの時代において10年前から未だ解決出来ない問題であったことには驚きだ。

ドット欠けというフレーズを聞くと初めてパソコンを購入したあの頃を思い出す。

120Gもの一体何をそんなに入れるのかというくらい内蔵HDが入っていることにとても喜んでいた頃を思い出す。

ネットに繋ぐとコンピューターが「新しいアップデート見つけました」と報告してきてちょっとビックリしたこともあった。

昔のパソコンといえば、セットアップという初期状態のまま起動を確認した後に、HDのパーテーションを切り、トップのディスクに新たにOSをインストールする作業も思い出す。

パーテーションを切るにはまずはCDから起動し、HDを一旦初期化しなければならないらしく、その際CD内のOSセットが一時的に仮環境になって、インストーラーからパソコンを制御。

インストーラーの指示通りに作業をすすめ、随分時間がかかって終了、再起動して確認してみるとセットアップ前の肝心のOSがきれいさっぱり無くなっていた。

当時は旧OSから新OSへの切り替えの時期らしく、OSを再インストールすると新OSが入る仕組みだったことを後で知った。

その付属CDのどこにも旧OSは存在せず、もうひと組あった『出荷状態に戻す』らしいCDがあり、そこに旧OSの存在を確認できたのでインストール。

しかし旧OSそのものの具体的な所在はわからぬままインストールCDは4枚に分割。

要するに、旧OS9だけポコン、とお手軽に出し入れが出来ない仕様になっていて、露骨なまでに新OSへの移行を促進されたのだ。

そんな悲劇の時代があったことを思い出した。

4月も忙しい

ほんのり春の終わり気配を折りまぜつつ、ナカナカな暑さを感じてきて、春の寒さの終わりを感じさせる日々。まだ暑さに耐える覚悟は完了してないというのに。

ところで、癒し系温泉(自称)にいってきた!こんな近くにこんな風呂場ができているとは知らなかった。

休憩室に「せまくてごめんなさい、心の広さを」という提示はせぬが要求はするという合理的スタンスの張り紙があったり、香り湯という風呂に入りフムフムと湯の説明を読むと・・・予想外な内容にガッカリした気持ちになったり、

青龍、白虎、玄武、朱雀と彫り込まれた風呂の朱雀の方角に座ると、次々にオヤジさん達が青龍、白虎、玄武の方角にも入って来て、「我ら転生し運命の戦士達、此処に集結!」とか心でつぶやいてみたりして思った以上に楽しめた。

最近忙しいのですが、半年ぶりくらいに絶望的スケジュールだったものが刹那的スケジュール位まで回復できて、なのでここ最近とても気分が軽かったりする。多分気のせいなのだろうが。

これを血行に例えていうと、「今すぐ医者にいけ!死にたいのか!」が「率直にいって、医者にいくべきです。貴方のためにいってるんです」くらいになった、といったところ。

10月も色々大変なのでみたいなので、それなりに英気を養いつつ、倒れない程度に頑張るつもりだ。

話は変わって、ホビーショップでほしいものが発売されているようなので行ってみると、まだ発売されていないようで置かれていなくて肩透かしをくらってしまった。

どうもまだ発売日は予定らしいのであった。そんなサギじゃないか、と理不尽で意味不明な心の叫びのなか帰った。

しかし帰る前に来たらついでにと小物を買ってレジにもっていくとポイントカードを持っていないことに気付いた。

取りに帰るには面倒くさいから、買うのはまた今度にしようかと思ったが、また出直すのも面倒くさいので買って帰った。

パソコンの使い方が分からない

パソコンを使っていて、とあるフリーソフトをインストールするも思った様に動かず、付属のテキストに書かれたマニュアルを読んでも使い方がよく解らない。

色々頑張ってはみたものの全然動かないままだったので、パソコンに詳しい知人に電話したときのこと。

私『なんとかパソコンにインストールまではできてんけれど、それで文章を書いてて4ページ以降、ページがない状態なんやけど、どうしたら良いかわかる?』

知人『エンター、何回も押してみて下さい』

私『あっ、ページ増えた。エンター押し続けたらなんぼでも行ける。20ページくらいまで行けた』

知人『それで大丈夫です。それで、100ページまで行ったら玄関のインターホンが鳴ってオッサンが来ますけど絶対に出ないで下さい』

私『わかった。え〜100ページを越えるとピンポン鳴って、オッサンが・・・』

僕は真面目にメモを取りながら知人の話を聞いていたので、途中まで知人のボケたことに気付かなかった。

ボケツッコミの才能のある人なら、すかさず『変なオッサンなんか来るか!』とか「誰が来んねん!』とか『いやオッサン何しに来んねん!』とツッコミ面白い感じにできたことだろう。

だけどボケツッコミの才能が無い私はなにも返してあげられませんでした。知人には申し訳ないことをしてしまったと思う。

電話を切った後はフリーソフトへの文章の打ち込みに集中した。

いつの間にか朝が来て、そろそろ寝ようかなと思った頃に、ピンポン、とインターホンが鳴った。ページを見ると100ページ。

知人が言っていた例のオッサンが来たようだ。知人には絶対に出てはいけないと言われましたが、気になったので足音を立てない様に細心の注意を払いながら静かに玄関まで行って、のぞき穴から外をのぞくと、

『100P』という文字が入ったハチマキを頭に巻いた変なオッサンが、巨大な『エンターキー』を両手に抱え肩で息をしながら立っていた。

玄関の分厚いドア一枚を挟んで、僕はしばらくオッサンを見ていた。

たまたま私の家の前を通りがかった新聞配達員にオッサンは『巨大なエンターキーを押して下さい』と眼で促していた。

新聞配達員は「えー」っとちょっと躊躇うような態度を見せましたが、結局はそのエンターキーを押した。オッサンは『ありがとうございます』と小さな声でお礼を言い小走りで帰ってしまった。

僕がパソコンの前に戻ると、101ページ目が出ていました。

それならば巨大なエンターキーを自分で押しても良かったかもしれないなと思った。そんな妄想をした。

久しぶりにキリ番踏んだ経験

とあるサイトのページを開いた時、『1111111カウントおめでとう!』とキリ番を踏んだ。

1111111カウント・・・実にウソくさい数字だ。口に出していってみるとますます普段使わい感じがして更にウソくさく感じる。

いまでもキリ番を踏むとコメントで報告する文化は残っているのだろうか。そして報告に対してお礼コメントをする文化もどうなのだろうか。

このブログも111111カウントを踏まれるような、長くこのブログを続けるようにしたい。だがのんびりやっていったとしても無理だとは思っている。

さて、昔のゲームがやりたい、でもレトロゲームを設置してるゲーセンとか知らないと友人と話していたら、友人がポータブルゲーム機で出てたソフトをプレゼントされた。

よく手に入れたものだと思うと同時に、どうしてゲームがしたいことを知っていたのかと聞いたら、前から同じことを呟いていたそうだ。

それにしても、友人がこんなにいい人だとは思わなかった。こんなに身近に、かすみそうのような優しさに出会えるなんて思わなかった。

家に帰ってからさっそく遊んだ。出先で手元にゲーム機があったならば家まで我慢することが出来ずにプレイしていたことだろう。

あまりに夢中になりすぎてしまって、作っていたカップメンのことをすっかり忘れてしまっていた。

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