知人が新しいパソコンを購入したそうで、そのことで聞いてほしいことがあると言われたので聞くと「早速ドット欠け発見してしまった」とのこと。まだドット欠けというものがあるとは思いもしなかった。
昔、パソコンを購入して、別に探していたわけじゃないのに液晶の一角にポッツリ1ポイントの欠けを発見しすこぶる憂鬱になったりしたものだ。
しかしドット欠がこの時代において10年前から未だ解決出来ない問題であったことには驚きだ。
ドット欠けというフレーズを聞くと初めてパソコンを購入したあの頃を思い出す。
120Gもの一体何をそんなに入れるのかというくらい内蔵HDが入っていることにとても喜んでいた頃を思い出す。
ネットに繋ぐとコンピューターが「新しいアップデート見つけました」と報告してきてちょっとビックリしたこともあった。
昔のパソコンといえば、セットアップという初期状態のまま起動を確認した後に、HDのパーテーションを切り、トップのディスクに新たにOSをインストールする作業も思い出す。
パーテーションを切るにはまずはCDから起動し、HDを一旦初期化しなければならないらしく、その際CD内のOSセットが一時的に仮環境になって、インストーラーからパソコンを制御。
インストーラーの指示通りに作業をすすめ、随分時間がかかって終了、再起動して確認してみるとセットアップ前の肝心のOSがきれいさっぱり無くなっていた。
当時は旧OSから新OSへの切り替えの時期らしく、OSを再インストールすると新OSが入る仕組みだったことを後で知った。
その付属CDのどこにも旧OSは存在せず、もうひと組あった『出荷状態に戻す』らしいCDがあり、そこに旧OSの存在を確認できたのでインストール。
しかし旧OSそのものの具体的な所在はわからぬままインストールCDは4枚に分割。
要するに、旧OS9だけポコン、とお手軽に出し入れが出来ない仕様になっていて、露骨なまでに新OSへの移行を促進されたのだ。
そんな悲劇の時代があったことを思い出した。